玄関先の石仏様。
頭の上に鳥が乗っていました。
見づらいかもしれませんが、お分かりになりましたでしょうか。
居心地が良いようですね。
さて、本日(12月21日)は「納めの大師」(終いの弘法)の日です。今回は陸奥国伝わる山塩伝承について、お大師さまの和歌も含めて書いてみました。お読みいただけましたら幸いです。
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「法の水茎」138(2023年12月号)
色づいた葉が風に吹かれて散りゆくように、日めくりカレンダーの紙葉も残り少なになりました。この一年の出来事を振り返りながら、さまざまな感情がわき上がっては消えてゆきます。来年こそは平和な世の中となることを切に願います。
今月下旬には、二十四節気の「冬至」を迎えます(今年は12月22日)。
一年に冬来ることは今ぞ知る
臥し起きすれば明かしがたさに
(大江千里『千里集』)
(一年に必ず冬が巡ってくると今思い知ったよ。身体を横にしても起こしてもなかなか明けにくい冬至の夜に)
この和歌は、中唐の詩人白居易(772~846)『白氏文集』「冬至夜」の「一年冬至夜偏へに長し」(一年で冬至の夜がこの上なく長い)という漢詩の一節を踏まえたものです。「秋の夜長」の人恋しさとは違った「冬の夜長」の厳しさが感じられます(『赤人集』に類歌あり)。
「冬至から畳の目ほど日が延びる」という言い回しがあるように、冬至を過ぎれば少しずつ昼の長さが増えてくるでしょう。ただ、冬の冷え込みはこれからが本番です。昔から冬至にはカボチャを食べて英気を養い、柚子湯につかって一休みと言われますが、先人の知恵を活用しながら元気に冬を乗り切っていきたいものです。
さて、身体を温めるには温泉も効果的でしょう。弘法大師空海(774~835)には、全国巡礼の折に、錫杖(杖) を地面や岩に突き立てて湧出させたという井戸や泉(弘法水)、温泉(弘法湯)などの伝承が全国各地に残されています。今月号では、そうした人々に恩恵をもたらしたという空海伝説について、お大師さまが詠まれた和歌も含めて紹介したいと思います。
昔(弘仁の頃〔810~824〕)、諸国巡礼の旅をしていたお大師さまは、会津の大塩村(現在の福島県耶麻郡北塩原村大字大塩)に立ち寄りました。そして、ある老齢の女性の家に一夜の宿を乞うと、快く迎え入れられました。
女性は精一杯手厚くもてなしましたが、この村では塩が手に入らないと言って悲しんでいました。その姿を見たお大師さまは、何とか救いたいと考えて一七日(七日間)の護摩(修法)を執り行います。
すると、その効験によって岩間から塩水が湧き出しました。それからというもの、塩を焼いて生計を営むものも出てきて、村人たちの苦しみもなくなったそうです。
この地方には、後に歌僧西行(1118~1190)も訪れて、二首の和歌を詠じたそうです。
海士(あま)もなく浦ならずして陸奥(みちのく)の
山賤(やまがつ)の汲む大塩の里
(海に潜る漁民でもなく海辺もないところで、陸奥の樵(きこり)が汲む大塩の里よ)
浦遠きこの山里にいつよりか
絶えず今まで塩やみちのく
(海からも遠いこの山里で、いつからか絶えず今まで製塩を行う陸奥の里よ)
(『新編会津風土記』)
お大師さまは里人の苦しみを取り去るために神仏に祈りました。村の名前を大塩村とした背景には、お大師さまへの感謝の心も込められているでしょうか。西行法師も、会津陸奥の「道の口」(玄関口)で見た思いがけない塩作りの様子に心を揺さぶられたようです。
ところで「塩山」「塩池」という地名は全国に残されていますが、例えば三重県にある丹生神社(にうじんじゃ)付近(現在の多気郡多気町丹生)にも「塩井」という場所があるそうです。近くには「弘法湯」と呼ばれる塩化鉱泉もあり、弘法大師創建と伝わる塩垣神社(しおがきじんじゃ)の傍らには、
細頸(ほそくび)の南の浦にさす塩は
丹生(にう)の内外(うちと)の御塩(みしほ)なりけり
というお大師さまの和歌が刻まれた石碑もあるとか(『勢陽五鈴遺響(せいようごれいいきょう)』)。ちなみに和歌との関わりから見れば、先ほどの大塩村からほど近い会津の恵日寺(現在の耶麻郡磐梯町)にも、
布引と聞てきたれば更科の
月輪潟(つきのわがた)に着とおもへば
龍石をまつりて置ぞ沢入に
後の世までの雨請(あまごひ)のため
という二首の空海歌が伝えられています(『新編会津風土記』)。こうした津々浦々に広がる弘法大師伝説と和歌との結びつきも注目されるものでしょう。会津の山塩は今でも産出し、人々に恵みをもたらしています。お大師さまの慈しみの思いは、現代を生きる私たちの心も温かくしてくれるのです。
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最後までお読みくださりありがとうございました。