坊さんブログ、水茎の跡。

小さな寺院の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。普濟寺(普済寺/栃木県さくら市)住職。

弘法大師空海のお話⑫ ~ 竜王の雨、お大師さまが始めた祈雨の修法 ~ 「法の水茎」133


大雨や猛暑など、全国的に異常気象が続いています。
被害に遭われた皆さまにお見舞い申し上げますとともに、一日も早い復旧を心よりお祈りいたします。

今日はこれまでの暑さもいくぶん治まり、心地よい風が吹き渡っています。
ヤマユリが揺れています。


豪華ですね
良い香りが漂っています。関東の梅雨明けももうすぐでしょうか。

今月の「法の水茎」も「弘法大師空海のお話」です。雨にまつわる伝説について書いてみました。お読みいただけましたら幸いです。


※      ※

「法の水茎」133(2023年7月号)


 しとしと雨の日々から、雷鳴を伴う「送り梅雨」の時期が近づいてきました。旧暦6月(現在の7月頃)の異名は「水無月(みなづき)」。その語源には諸説ありますが、「水無月」は「水の月」(田に多くの水を必要とする月)を表すからとか、梅雨明け後の暑さで「水が尽きる月」(水無月)からという文字通りの説もあります。何れにしても、日常生活には欠かすことのできない水の有り難みを身近に感じる月なのでしょう。

  なにごとに涼しく物を思はまし

   岩間の水の月見ざりせば

        (『清輔朝臣集』)

(どんなことにも清らかに物思いができただろうか。岩間の水に映る月を見なかったならば)

 旧暦6月は「水月」とも呼ばれますが、雨上がりの水面に映る月影を眺めれば、晩夏の暑さも和らぐでしょうか。水に映る月は儚いことから、仏教の教えを説く「水月(すいがつ)の観(かん)」(無常観(むじょうかん))という言葉もあります。梅雨時には鬱陶しさを感じる日もありますが、時には目の前にありながら手に取ることのできないものを深く観じて、心の中の雨雲を晴らしてみてはいかがでしょうか。

 7月も下旬になれば、照りつける夏の太陽(炎陽)が一気に顔を出すでしょう。

  我が心静けきときは吹く風の

   身にはあらねど涼しかりけり

     (大江千里『句題和歌』)

(心が穏やかなときは、身体に涼しい風を受けなくても心地よく感じられるよ)

 この和歌(わか)は、白居易(772~846)『白氏文集』の「但(た)だ能(よ)く心(こころ)静(しず)かなれば即(すなは)ち身(み)も涼(すず)し」(ただ心を静かに澄ませているので、そのまま身も涼しいのです)という漢詩の一節を踏まえたものです。「心静か」とは「心が穏やかで落ち着いている様子」を意味します。夏の暑さは避けられなくても、せめて心は平静に保ちながら、燃え盛る迷いの炎(煩悩)を抑えていきたいものです。

 余談ですが、「心静か」と言えば、江戸時代の俗信に「おんそろそろ心静かにそこ立つ時はあと見ろそわか」という呪文があるそうです。どこかに出かけてその場を去るときに、この言葉を唱えてから三遍跡を確認すれば物を置き忘れないとか。何事も慌てずに冷静に行動することが大切なのでしょう。

 さて今回は、雨にまつわる弘法大師空海(774~834)の伝説を取り上げてみたいと思います。

 今は昔。淳和天皇(786~840)の御代に全国的な干ばつが続き、多くの作物が焼き枯れてしまいました。天皇をはじめ全ての人々が嘆き悲しみました。

 天皇は弘法大師を召して、雨を降らせる方法をお尋ねになりました。すると「そのような修法がございます」とお答えになったので、天皇はすぐに始めるように命じます。

 お大師さまは、さっそく神泉苑(しんせんえん)で請雨経(しょううきょう)の法(降雨を祈る法)を執り行いました。7日間行うと壇の上に5尺(約1・5メートル)ばかりの蛇が現れ、見ると5寸(約15センチ)ほどの金の蛇を頭上に乗せていました。しばらくすると蛇は池の中へと入っていきました。

 この蛇について、お供の僧の一人がお大師さまに尋ねると、「あなたはご存じないのか。あれは天竺(インド)の池に住む善如竜王(ぜんにょりゅうおう)が、この修法が叶うだろうと現れたのだ」と答えました。そうしていると、すぐに空が曇ってきて、戌亥(いぬい)(北西)の方角から黒い雲が湧き上がると、全国に雨が降り出しました。こうして干ばつは終わったのです。

      (『今昔物語集』)

 お大師さまが始めたという祈雨(きう)の修法は、目の前に雨乞いのご加護がある善如竜王(善女竜王)が立ち現れることによって成就しました。卓越した効験によって大雨を降らせ、多くの民の悲しみを救ったのです。

 なお、竜王の住む阿耨達池(あのくだっち)は、ヒマラヤ北部にあるという想像上の池ですが、チベット自治区南西部に実在するマナサロワール湖であるとも言われています。かつてこの聖地を訪れた学僧で探検家の河口慧海(1866~1945)は、「豪壮雄大にして清浄霊妙」の湖と書き記しました(『チベット旅行記』)。また、かの宮沢賢治(1896~1933)は、阿耨達池をこのように描いています。

  まっ白な石英(せきえい)の砂

  音なく湛(たた)える

  ほんたうの水

(宮沢賢治『口語詩稿』「阿耨達池幻想曲」より抜粋)

 「清涼(しょうりょう)」(絶対の境地)とも訳される阿耨達池は、宮沢賢治が言うように「本当の水」を湛えているのでしょう。涼しく澄み渡った清らかな水は、お大師さまの祈りの力によって雲となり、はるばる海を越えて「竜王の雨」を降らせたのです。




     ※      ※

最後までお読みくださりありがとうございました。