ボタンの花が初夏の風に揺れています。

見とれる美しさです。時が止まったようです。
さて、普濟寺の歴史についてあらためて調べてみました。
以下は、昭和54年の喜連川町大字金枝『沿革誌』(昭和54年3月5日)です。

昔の本堂の写真も掲載されています。
創建は永禄2年(1559)に沢村観音寺の宥哲大和尚の開山とあります。
沢村観音寺とは、現在の矢板市沢観音寺さんです(「とちぎ旅ネット」HPより)
以前、こうした記事を元に普濟寺の歴史を書きました。
『栃木県史 第4巻』(昭和9年12月)にも、永禄2年(1559)の建立と見えます。

ところが、『那須郡誌』(昭和24年5月)を確認すると、永享2年(1430)2月の創建とありました。
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出典の「寺院名簿」という記載も気になります。
さらに調べてみると、『那須郡誌』(大正13年〔1924〕)にも永享2年(1430)2月と見えます。

どうやら2つの説があったようです。
そこで、お寺の資料を見返してみました。
こちらは昭和3年(1928)のものです。永禄2年(1559)と記されていますが気になる点が……

年号が「永禄二戌」と見えます。
念のため別の古文書を見ると、やはり「永禄二戌」とありました。

永禄2年の干支は、「戌」ではなく「己未(つちのとひつじ)」。
ちなみに永享2年の干支は「庚戌(かのえいぬ)」です。
「永禄二未」または「永享二戌」であればスッキリしたのですが。どこかで混同されたのか誤記なのか、、、
普濟寺の本堂よりも境内にある薬師堂のほうが創建が古いとされていたので不思議には感じていましたが……もし開山の宥哲大和尚の生没年が分かれば謎が解けるかもしれませんね。いずれ機会があれば沢観音寺さまにお伺いしてみようかとも思っています。
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最後までお読みくださりありがとうございました。