坊さんブログ、水茎の跡。

小さな寺院の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。普濟寺(普済寺/栃木県さくら市)住職。

「道のり」のお話⑫ ~ 聖域内巡礼、仏さまが満ちあふれた空間 ~ 「法の水茎」168


お寺の永代供養墓。
美しいお花が供えられていました。


この時期ならではのお花ですね。


色とりどりです。


いつもお参りをありがとうございます。

今月の『高尾山報』「法の水茎」は、高野山金剛峯寺の巡礼の次第をもとにして「お寺の中の小さな巡礼」(聖域内巡礼)について書いてみました。お読みいただけましたら幸いです。

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「法の水茎」168(2026月6月) 

 今年は季節の流れが早いように感じます。私が住まう山里にも、五月中には夏を告げるホトトギスの声が響き渡り、近くの小川では涼を誘うホタルが飛び始めました。例年は梅雨時に訪れる命の燃焼が、どうやら前倒しで駆け抜けているかのようです。

  ほととぎすいたくな鳴きそ汝が声を

   五月の玉にあへ貫くまでに

      (『万葉集』藤原夫人)

(ホトトギスよ、そんなに鳴かないでほしい。あなたの声を、五月五日の薬玉に混ぜて紐に通すまでは)

 歌に見える「五月の玉」とは、端午の節句(菖蒲の節句)に飾る「薬玉」(一節では「橘の実」)のことです。男児の健やかな成長と健康を願う端午は、かつては旧暦五月五日(新暦で今年は六月十九日)に行われていました。この歌では、無病息災を願う邪気祓いの薬玉に、ホトトギスの鳴き声も移し込めようというのでしょうか。その美声をいつも身に纏っていたいという古人の思いが伝わってくるようです。

 梅雨の時期は外出が億劫になるものですが、時にはお寺を散策してみてはいかがでしょうか。境内には雨に濡れた瑞々しいアジサイが際立ち、清らかなホトトギスの声を耳にしたかと思えば、しっとりとした静寂に包まれてゆきます。雨音を聴きながらお庭を眺め、歴史あるお堂に手を合わせたなら、きっとこの季節ならではの潤いが、心の内にももたらされることでしょう。

 さて先月号では、高野山参詣を目的とする中世の巡礼記(紀行文)を取り上げました。「巡礼」の「巡」は巡り歩く、「礼」は拝むという意味からすれば、こうしたお寺の中を巡るのも、広い意味での「巡礼」と呼べるのかもしれません。

 かつて私も高尾山薬王院での修行中に、お山の本堂をはじめとするさまざまなお堂(諸堂)を毎日のように巡り、そして祈りました。本堂周辺の大師堂・聖天堂・愛染堂・延命地蔵、本社周辺の飯縄権現堂(御本社)・天狗社・稲荷社・大黒天などを経巡り、ある時には奥の院不動堂の奥にある浅間神社の御前で『般若心経』をお唱えしながら大粒の涙が頬を伝った思い出もあります(「法の水茎」1)。

 こうした僧侶の「諸堂参拝」(「巡礼」)を巡っては、高野山金剛峯寺に、鎌倉期の高野山上の堂塔・子院の巡礼の次第を記したものが伝わっています(伝明恵(1173~1232)『金剛峯寺巡礼次第』)。それによれば、僧侶が諸堂を参拝する順序は、以下のような道順であったそうです(丸数字は、図の「高野山図」と対応します)。

 ①大門~②中門~③金堂~④大塔~⑤潅頂院~⑥御影堂~⑦准胝堂~⑧西塔~⑨御社両所~総社~⑩金泥一切経蔵~⑪孔雀堂~新御塔~本経蔵~⑫蓮華乗院~⑬三昧堂~⑭東塔~奥院~拝殿~奥院鎮守社殿両社

(※「高野山図」は「紀伊続風土記 高野山之部」付載「高野山図」の一部を引用)

 高野山上での僧侶の巡礼は、まずは大門から始まっています。細かく見ると、冒頭には「大門金剛力士二王像 各般若心経一巻 右大門者大師御在世当初之建立」と記されており、まずは仁王門の阿形像・吽形像のそれぞれに『般若心経』を一巻ずつお唱えすることが示され、加えて大門は弘法大師空海(774~835)存命中に建てられたものであるという由来が語られています。他にも、蓮華乗院は歌人としても名高い西行(1118~1190)が関わったことや、西塔は上皇・法皇の命によって建立されたこと、奥之院拝殿は空海の霊夢(不思議な夢)によって藤原道長(966~1027)が造営したものであることなどが書き留められています。

 このような記述からすれば、真言僧侶の巡礼とは、高野山上の堂塔を巡礼次第に則りながら巡り歩き、仏を讃えるお経を唱え、さらには由緒や建立縁起などを心に観想するものであったと想像されます。一般的に巡礼とは「寺から寺へ、聖なる寺院から俗なる道のりを経てまた聖なる地へ」という見方が思い浮かびますが、僧侶の寺院内での巡礼とは言わば「聖域内巡礼」とでも称すべきものなのかもしれません。

 ちなみに醍醐寺の僧侶の和歌を集めた歌集には次のような歌が見られます。

  ほととぎす汝も手向の心あらば

   しめの内にはをち返り鳴け

     (『続門葉集』法印行厳)

(ほととぎすよ、お前にも捧げる心があるのなら、この神域において繰り返し鳴いてほしいよ)

 ホトトギスは「魂迎え鳥」「冥土の鳥」とも呼ばれ、冥界との関係が深い鳥と信じられてきました。この歌を詠んだ行厳は、醍醐寺座主をつとめた成賢(1162~1231)に付き従って湯山(有馬温泉)を訪れ、「社頭郭公」の心を題にした和歌を鎮守明神へと献じました。これは僧侶による和歌の奉納(奉納和歌)と言えるものでしょう。こうした手向けは、お堂の前でお経を捧げる気持ちとも同様であったと思われます。

 仏教語に「法楽」という言葉があります。神仏の前で読経をしたり、音楽を奏でたり、歌を詠んだりして神仏を楽しませるという意味です。「お寺の中の小さな巡礼」に出かけて、仏さまとともに自分自身も楽しんでみませんか。聖なる空間には、お堂にも石仏にもお花にも鳥の声にも、仏さまの心が満ちあふれています。静けさと潤いの中をゆっくりと歩めば、いつもよりも仏さまと深いお話しができるかもしれません。



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最後までお読みくださりありがとうございました。