坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

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薬師堂の半鐘

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全国的に暑い一日です。
外の温度計は、28.7℃を指しています(13:30現在、湿度57%)。

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睡蓮は今日もキレイに咲いていますね。
毎日見ないと気が済まないようになってきました(笑)

池の上には薬師堂があります。
起源は、天文元年(1532)4月8日、金枝城主であった金枝近江守源宗道の創建と伝えられています。

その薬師堂には「半鐘」が釣り下げられています。

はん‐しょう【半鐘】
1 釣鐘の小さいもの。本来は寺院・陣中などの合図に用いたが、江戸時代から火の見櫓(やぐら)につるし、火災・洪水・盗賊などの非常時に鳴らすようになった。
『デジタル大辞泉』「半鐘」の項

 

 

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写真の左側の方(「鰐口」の奥)になりますが、お分かりになりますでしょうか。

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柱には「撞木」も備え付けられています。

しゅ‐もく【×撞木】
1 仏具の一。鐘・鉦(たたきがね)・磬(けい)を打ち鳴らす丁字形の棒。また、釣鐘を突く棒。かねたたき。しもく。
『デジタル大辞泉』「撞木」の項


さて。この半鐘には、次のような銘が刻まれています。

 

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「下野国那須郡 芦野家陣鐘」

どうやら、もともとは芦野氏陣屋跡(現在の芦野御殿山公園、那須町芦野)にあったもののようです。 

地図を検索してみました。




Googleマップによれば、普濟寺からは車で48分(徒歩で7時間)かかるそうです。

普濟寺の正式名称は「三光山清光院普濟寺」ですが、芦野城の近くには「三光寺」という高野山真言宗のお寺も見えます。

また、西行や芭蕉ゆかりの「遊行柳」もありますね。

芦野 あしの
栃木県那須(なす)郡那須町の一地区。旧芦野町。中世には芦野氏の城下町、近世には奥州街道の宿駅として栄えたが、東北本線、国道4号から外れ、さびれた。国道294号が通じる。芦野の北西にある温泉神社前に「遊行柳(ゆぎょうのやなぎ)」があり、西行(さいぎょう)の歌「道のべに清水流るる柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ」と謡曲で有名。
『日本大百科全書(ニッポニカ)』「芦野」の項


この芦野城については、

芦野城跡 あしのじようあと
[現]那須町芦野 館後
奈良(なら)川左岸、旧芦野宿東方の丘陵西側斜面にある中世の山城。近世にも引続き旗本芦野氏の陣屋となっている。桜(さくら)ヶ城・芦野氏陣屋ともいう。築城者・築城年代については、天正一八年(一五九〇)芦野盛泰によるとする説、天文年間(一五三二―五五)芦野資興によるものとする説などがある。那須七騎に数えられた芦野氏第三の居城で、芦野館から館山(たてやま)城へ、さらに当城へと移り住んだ同氏は交代寄合席旗本として幕末を迎える。
『日本歴史地名大系』「芦野城跡」の項

とあるように、中世の山城で、江戸時代にも旗本芦野氏の陣屋となっていたそうです。

薬師堂の半鐘には、制作者の名も刻まれています。

 

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「西村和泉守作」

西村和泉守について、詳しいサイトがありました。

tomaya.my.coocan.jp


「西村和泉守は鋳物師の銘で神田鍛冶町において江戸時代より長く続いていた名工」とのことです。

なぜこのような半鐘が、普濟寺の薬師堂に伝わっているのでしょう。那須氏との関わりがあるような気もするのですが……もう少し調べてみたいと思います。

※ その後、お世話になっている御住職様から、芦野氏の下屋敷が江戸神田近辺にあったことなどをお教えいただきました。そうしたつながりから、芦野家の陣屋にもたらされたのでしょうね。


     ※      ※

最後までお読みくださりありがとうございました。



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