本堂へと向かう道。
かわいらしいスイセンが、列を作ってお出迎えです。
梅からスイセンの季節へと移ってきました。
昨日は彼岸の入り(彼岸7日のうちの第1日目)でした。
次々とお墓参りの方をお見かけします。
お墓にもキレイなお花が飾られて、ご先祖様も喜ばれていることでしょう。
ますます花盛りのお寺となっています。
ぜひお寺の御本堂の方にもお立ち寄りいただければと思います。
石段下の駐車場の傍らに、丸みを帯びた大きな石があります。
古くから、地元金枝の「力試し石」と呼ばれているものです。
いわゆる「力石」のようなものです。
力石 ちからいし
力試し、力競べをするために使われた石。昔の農村の青年は米俵を担ぐなど力仕事をすることが多く、力試しをよくした。神社の境内などにある大きな石を持ち上げて力を競った。一人前の青年の資格として米俵を担いで一定の距離を歩かせることも行われた。岡山県真庭(まにわ)郡八束(やつか)村(現真庭市)に、大小の力石があり、青年が力競べをした。それには4種類の石があって、頭上まで上げるのをサシ石、肩までのものをカタゲ石、膝(ひざ)まで上げるのをヒザトリ石、いちばん重いのをチギリ石といって地面から離せばよいとしたという。力石には、重軽(おもかる)石といってこれで石占(いしうら)をするのが信州(長野県)など各地にある。病気のときなどこの石を持ち上げて軽ければすぐ全快し、重ければなかなか治らないと判ずるのである。力石には伝説として語られているものがある。兵庫県飾磨(しかま)郡荒川村(現姫路市)には、弁慶が書写(しょしゃ)山にいたころ、力を試したという石がある。
『世界大百科事典』「力石」の項
この「力試し石」は、2001年(平成13年)4月17日に奉納されました。もともとは、お寺近くの金枝十文字に古くからあったものです。そこには火の見櫓がありました。
地元の若者が、どこまで持ち上げられるかを競い合ったそうですね。ただ、米俵で鍛え上げられた身体でも、肩まで担ぎ上げた人は数人しかいなかったと伝わっています。
今は石のほとんどが草むらに埋もれているので、いずれきちんと見えるようにして、案内板でも立てたいですね。
その時にでも、ちょっと持ち上げてみたいですが。。。おそらくビクともしないのでしょう。
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最後までお読みくださりありがとうございました。