坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

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「時間」のお話⑨ ~ 自然な時の流れ、亀の甲より年の劫(こう) ~ 「法の水茎」93

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風の強い一日でした。
人けの途絶えた本堂から鳥の声が聞こえるので、近づいてみると…

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つがいの2羽が遊んでいました。
お参りの方を見習って、やってきてくれたのでしょうか。


今月の私の文章は、引き続き「時間」をテーマに、「自然な時の流れ」や、人間の「年の功」について書いてみたものです。よろしければ、お読みいただけますと幸いです。


     ※      ※

「法の水茎」93(2020年3月記)

 



 今年は春の訪れが早いようです。庭先の紅梅も2月中には満開を迎え、鳥の囀りもにぎやかになってきました。例年よりも半月ほど早い春の輝きです。

  暮ると明くと 目かれぬものを 梅の花
   いつの人間(ひとま)に 移ろひぬらむ
             (『古今集』紀貫之)
(日が暮れても、夜が明けても、ずっと目を離さなかったのに、梅の花は、人のいない間に、いつ色あせてしまったのだろう)

 日常に明るさ添えていた梅の花も、いつしか移ろう時節を迎えたようです。歌の中にある「目かれぬ」の「かれ」には、目を離すという意味の「離(か)れ」に、花が衰え行くという「枯(か)れ」が響かされています。ずっと目を凝らしていたつもりでも、花は少しずつ色あせ、やがて散っていきます。それは、ちょっとよそ見をした間のような「いつの間にか」の時の移ろいなのかもしれません。

「とくに意識しなくても進む様子」を表す時に、「自然に」「自然と」という言葉を使います。現代の若者で言えば「普通に」でしょうか。古くから用いられる「自ずから」「自ずと」「ひとりでに」などと同じような意味合いです。何の不思議もないことを喩えるのに、「川を下れば自ずから海、川を上れば自ずから山」という言い回しがありますが、花は咲けば当然のように散り、季節は自然と次へと移りゆきます。

 それは、人の一生も同じでしょう。人間は生まれてから日に日に成長し、年々に年を重ねていきます。とどまることはありません。先日、年配の檀家さんの方が「人生は長いようで短い。短いようで長い」と仰っていました。川に喩えれば、流れの速い日もあれば、緩やかな日もあり……緩急を繰り返しながら、大いなる海を目指しているのでしょうか。

 ちなみに、川の深くよどんだところを「淵(ふち)」、浅くて流れの速いところを「瀬(せ)」と言います。これは例えば、

  世の中は 何か常なる 飛鳥川(あすかがわ)
   昨日の淵ぞ 今日は瀬になる
             (『古今集』読人不知)
(この世の中では、常に変わらないものなどあるのだろうか。いや、ありはしない。飛鳥川の昨日は淵であったところが、今日は瀬に変わっているように)

という和歌にも詠み込まれているように、「淵瀬(ふちせ)」は「世の中の移りやすく無常(むじょう)なこと」を喩えています。「昨日」「今日」「明日(あす)」(飛鳥川)という悠久の時の流れは、「淵」や「瀬」に差しかかって勢いを変えながら、絶えまなく進み続けているのです。

 川の上流と下流では景観が異なるように、人間もまた年齢に応じた表情を見せるようです。若い頃と年を重ねてからの違いについて、兼好法師(1283頃~1352以後)は次のように語っています。

 若い時は血気あふれていて、心はすぐに動揺し情欲も多い。身を危険にさらして砕けやすいのは、珠を速く転がせるのに似ている。

 麗しいものを好んで無駄遣いをしたり、そうかと思えばこれを捨てて出家をしたり……勇む心で人と争い、心に恥じたりうらやんだりして、心は日々変化している。情事にふけり恋に夢中になって、行動は思い切りが良いので、そのために将来を水の泡にしてしまったりもする。

 命を失う事件に心がひかれて、長生きも願わない。好きなことに引きつけられて、後世までの語り草となってしまうこともある。身を誤るのは、若い時の仕業である。

 それに対して、老人は精神も衰え、大まかで淡泊なので動揺することがない。心は自然と落ち着き、無益なことをしない。わが身を労って心配事もなく、人に迷惑をかけないようにする。

 老いてから智慧(ちえ)が若者に勝っているのは、若者の容姿が老人に勝っているのと同じである。
           (『徒然草』127段)

 兼好によれば、人は年を重ねるごとに自然に落ち着いていくそうです。まさに「年の功」ということでしょう。外見が少しずつ変わっていくように、智慧(真実を見極める能力)という内面が徐々に備わっていきます。これは、意識することのない「自然な流れ」なのです。

  栴檀(せんだん)の林に入る者は
  染めざるに衣
  おのずから香し
           (『太平記』)
(白檀(びゃくだん)は香りが強いので、その林に入ると自分の衣服に香気が染まる。同じように良い環境に身を置く者は、自然に良い性質や習慣が身に付いている)

 梅の花は風に散っても、その気高い香りは、いつまでも忘れることはありません。自然と心の奥深くに沁み込んだ香気を胸に、今年も桜を眺めたいと思います。


     ※      ※

最後までお読みくださりありがとうございました。



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