坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

「無常」のお話⑩~中国から日本へ、天狗と僧侶との法力競べ~「法の水茎」81

今日は暑い一日でした。
全国の100地点以上で、真夏日を観測したそうです。

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ホタルブクロ

玄関脇にホタルブクロがうつむいて咲いています。
たくさんの風鈴が並んでいるようで、風に揺れると涼しさを感じます。


今回の文章は、「無常」をテーマとして、不動明王の功徳や僧侶の智慧の炎について書いたものです。

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「法の水茎」81(2019年3月記)





  鶯の 谷より出づる 声なくは
   春来ることを 誰か知らまし 
        (『古今集』大江千里)
(鶯が谷間から出でて、初々しく囀る声を聞かないうちには、誰が春の訪れを知ることができようか)

 ようやく冬の長いトンネルを抜けたようです。ポカポカ陽気に紅白の梅が咲き薫り、春告鳥とも呼ばれる鶯が、木々の梢に囀っています。春がいよいよ本格的に到来しました。

  いたづらに 過ぐす月日は おもほえで
   花見て暮らす 春ぞ少なき
         (『古今集』藤原興風)
(何もしないで過ごす月日には感じないけれど、花を見て暮らす心地良い春は、あっと言う間に時が過ぎ去っていくよ)

 寒さの厳しかった冬と比べると、春は足早に過ぎ去っていきます。梅の盛りが終われば、桜の開花が待ち遠しくなり、満開に咲き満ちれば、次は散るのを惜しみます。来月号が配られる中旬には、里は葉桜になっていることでしょう。春や秋は、目まぐるしく移り変わる季節だからこそ短く感じられるのかもしれません。

 3月の第2日曜日(今年は10日)には、毎年恒例の「高尾山火渡り祭」が行われます。山伏と呼ばれる修験道の行者を先達(せんだつ)(先導者)として、燃え盛る炎によって世の穢れや罪を焼き尽くし、世界平和や息災延命、災厄消除や身上安全などの諸願が祈られます。一般の方々も、先達の導きによって火の上を渡り歩き、穢れを祓って無病息災を念じます。何かと忙しない日常に、揺るぎない安心を獲得してみてはいかがでしょう。

 火渡りは、正式には火生三昧耶法(かしょうさんまやほう)と言います。火生三昧とは「身から火炎を出し、その火で全ての魔や煩悩(苦)を焼き尽くす」という意味で、高尾山薬王院では御本尊飯縄大権現(いづなだいごんげん)様との一体化を目指します。

 飯縄権現は、5つの神仏が合わさった「五相合体」のお姿です(不動明王のほか、歓喜天(かんぎてん)・迦楼羅天(かるらてん)・荼吉尼天(だきにてん)・宇賀神(うがじん)(弁財天(べんざいてん)))。その中心となる不動明王について、鎌倉時代の『是害房絵詞』という絵巻物には、

  此ノ明王ハ火生三昧ニ入リテ、
  其ノ光普ク無辺ノ世界ヲ照ス、
  火焔熾盛(かえんしじょう)ニシテ、
  諸障ヲ焚焼ス、
  僅カニ火界呪(かかいじゅ)ヲ誦スレバ、
  大智火ヲ出シテ一切ノ魔軍ヲ焚焼ス
(この不動明王は、身体から火炎を出して、その光は全てにわたって限りなく世界を照らす。炎は盛んにして諸々の妨げを焼く。少しでも不動明王の呪文を唱えれば、大いなる智慧の火を発して、ありとあらゆる悪事を焼き尽くす)
として、不動明王の功徳が語られています。

 この『是害房絵詞』には、天狗と僧侶との法力競べが描かれているのですが、これと近い内容の話は、さらに古く『今昔物語集』にも見ることができます。その粗筋は次のようなものです。

 今は昔、震旦(中国)から智羅永寿(ちらようじゅ)という法力の強い天狗が日本に渡ってきました。日本の天狗に語ります。「この国には修験の僧が多いと聞く。彼らに会って力比べをしたい」と。

 そこで、震旦と日本の天狗は、比叡山(天台宗の総本山)に飛び立ちました。道ばたに腰を下ろすと、震旦の天狗は老法師に姿を変えて、日本の僧侶がやって来るのを今か今かと待ち構えていました。

 ところが1人目の僧が来ても、2人目の僧が通り過ぎても、何もすることができません。そして3人目の僧が通りかかったとき、僧に付き随っていた童部(子供)に見つかり、捕らえられてしまったのでした。

 童部が「どこの老法師だ。名乗れ」と問うと、天狗は答えました。「震旦より渡ってきた天狗です。お通りになる人を拝見しようと思って、ここにおりました。はじめにやってきた方は、火界呪(かかいじゅ)を唱えて通ったので、輿(こし)の上が燃えさかる炎のように見えました。次の方は、不動明王の真言を唱えていました。制多迦童子(せいたかどうじ)(不動明王の脇侍(わきじ))が鉄の杖を持って付き添っていました。そしてこの度の方は、真言は唱えてはいませんでしたが、心に仏教の教えを念じて登ってこられただけで、怖ろしくはありませんでした。深く隠れもせずにおりましたところ、このように捕らえられてしまったのです」と。

 童部はこれを聞くと、「重い罪を犯した者でもない。許して逃がしてやれ」と言って解放したのでした。
          (『今昔物語集』)

 天狗は、力比べをするどころか、すっかり戦意を喪失していました。不動明王と一体化していた僧侶の智慧の炎に、悪事を働こうとする心も焼き尽くされたのでしょう。ただそれは、ある程度の修行を積んでいた天狗だったからこそ、その威光を感じ取ることができたのだと思います。

  正しく火生三昧(かしょうざんまい)に
  入り給ひて、
  一切の魔軍を
  焚焼(ぼんしょう)せり。
           (謡曲『善界』)
((不動明王は)まさしく三昧(ざんまい)(無心)の状態にお入りになって、一切の魔を焼き尽くすのです)

 火渡りで感じる足裏の炎熱は、私たちに何を伝えてくださっているのでしょう。一心に手を合わせ、飯縄大権現様とともに渡り歩くお姿に、胸が熱くなります。


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最後までお読みくださりありがとうございました。