坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

「無常」のお話⑨~慈愛を与えて、父子の別れ~「法の水茎」80

スポンサーリンク

昨夜は雷雨に見舞われました。局地的な大雨でした。

f:id:mizu-kuki:20190619103130j:plain

睡蓮

睡蓮(スイレン)は眠っていたのでしょうか……何事もなかったかのように完璧な花を咲かせています。
白い花を午後、未の刻ごろ(13~15時頃)に咲かせることから、睡蓮と名づけられたそうです。

今回の文章は、「無常」をテーマとして、お釈迦様の入滅をめぐる父子の別れ、慈忍の心について書いたものです。

    ※      ※

「法の水茎」80(2019年2月記)





 立春を迎えて、木々の梢も緩やかに芽吹いてきました。庭先の寒紅梅も日に日に蕾が綻んで、いち早く春の訪れを告げています。
 立春は、1年の季節を24に分けた二十四節気の始まりです。まだまだ「春は名のみの風の寒さや」(「早春賦」)といった感もありますが、これからあちらこちらで早春の息吹が感じられるようになってくるのでしょう。

  年のうちに 春は来にけり 一年を
   去年とや言はむ 今年とや言はむ
         (『古今集』在原元方)
(まだ12月中なのに立春を迎えたよ。この1年を去年と呼べばいいのか、それとも今年と呼べばいいのだろうか)

 「12月中に立春」と言われても、現代の私たちには違和感があるかもしれませんが、この『古今集』の冒頭を飾る和歌は「年内立春」を詠ったものです。年内立春とは「陰暦で、新年を迎えないうちに立春が来ること」で、例えば、今年の立春(2月4日)は、旧暦では12月30日の大晦日に当たる年内立春となりました。こうした巡り合わせは、暦に敏感だった昔の人々にとっても、不思議な感覚だったのでしょう。

 ちなみに、立春と旧暦1月1日が重なる年を「朔旦(さくたん)立春」と呼びます。これは約30年に1度巡ってくるとのことで、次はまだまだ先の2038年になると予想されています。

  年のうちに 晴は来にけり 直垂を
   去年のをや着む 今年のをや着む
          (頼瑜『真俗雑記』)
(年内に来てしまった晴の儀式には、去年の直垂を着ようか、今年新調したのを着ようか)

 何やら先ほどの『古今集』の歌と似ていますが、これは鎌倉時代の真言宗の僧侶が作ったものです。『古今集』の歌の第2句「春」を「晴(はれ)」、第3句「一年(ひととせ)」を「直垂(ひたたれ)」、第5句「去年(こぞ)とや言はむ今年とや言はむ」を「去年(こぞ)のをや着む今年のをや着む」と語句を変えることによって、新しい衣服(直垂)に着替えようかと面白く詠っています。『古今集』の「去年とや言はむ今年とや言はむ」といった言い回しは、僧侶には論義(ろんぎ)(修行の中での問答)のようにも聞こえていたようです(『沙石集』巻5)。良く知られた歌の作り替えを通じて、楽しみながら和歌の勉強をしていたのでしょう。そしてそれは、日々の仏道修行とも結び付いていたのだと思います。

 旧暦2月15日は、お釈迦様が入滅(仏が亡くなること)された日です。全国の寺々では「涅槃会(ねはんえ)」「常楽会(じょうらくえ)」「如月(きさらぎ)の別れ」などと呼ばれる法要(ほうよう)が執り行われ、お釈迦様の入滅を嘆き悲しむ姿を描いた「仏涅槃図(ぶつねはんず)」を堂内に掲げて、その恩徳を偲びます。

 お釈迦様の入滅の様子を伝える話の中には、次のような「父子の別れ」を語るものが見られます。

 今は昔、お釈迦様が亡くなられようとされる時、一人息子の羅睺羅(らごら)は、「父が亡くなるのを見るのは悲しい」と、余所(よそ)の場所に行ってしまいました。するとその地の者が羅睺羅に言いました。「そなたの父が亡くなろうとされているのに、なぜ付き添わないのか。父は、そなたを待っているのだ。すぐに帰って臨終に立ち会いなさい」と。羅睺羅はその教えに従い、辛さを堪えて戻ったのでした。

 帰ると、お釈迦様の御弟子たちが「お釈迦様のお側に急いで参りなさい」と勧めます。泣く泣く近づいていくと、父であるお釈迦様は羅睺羅をご覧になり、「私は今、涅槃に入る(入滅する)。私の姿を見るのは最後である。早く近くに来なさい」と仰せられます。涙ながらに駆け寄ると、仏は羅睺羅の手をお取りになって仰いました。「羅睺羅よ、そなたは私の子である。十方世界(じっぽうせかい)(あらゆる世界)の仏たちよ、この子に慈愛(人を慈しむ気持ち)を与えてください」と。こう願いをたてられて入滅されたのでした。これが、お釈迦様の最期の言葉です。
           (『今昔物語集』)

 お釈迦様の入滅の様子は、多くのお経に説かれていますが、荘厳な様子を描くそれらとは違い、この話では、お釈迦様の人間味が溢れています。『今昔物語集』は、「お釈迦様でさえ我が子の行く末を思い悩むことを、私たちに示されたのであろう」と結んでいます。誰しも共感できるこうした話は、多くの人々の胸を強く打ったことでしょう。

 親子の別れは、辛いものです。ただ、「釈尊をば能忍(のうにん)とも名づけ奉る。羅睺羅尊者は忍辱(にんにく)第一なり」(お釈迦様を「よく忍ぶ」という意味の「能忍」(のうにん)と申し上げる。そしてその子羅睺羅尊者は忍耐(にんたい)第一の人であった)と語られているように(『十訓抄』)、これまでの「忍」と「慈しみ」(慈悲)の生活によって、去りゆく者も、送り残る者も、ともに終(つい)の別れを乗り越えられたのではないかと考えます。

  世の中の 常なきことの ためしとて
   空隠れにし 月にぞありける
        (『建礼門院右京大夫集』)
(世の中の無常を説こうとして、月が一時隠れるように、お釈迦様は入滅されたのです)

 門渡(とわた)る月の満ち欠けは、この世の「無常(むじょう)」(儚さ)を示しています。そこに住まう兎(うさぎ)のように、私も「慈忍(じにん)の心」(慈悲をもって、苦難を堪え忍ぶ心)を胸に刻みたいと思います。

    ※      ※

最後までお読みくださりありがとうございました。






スポンサーリンク