坊さんブログ、水茎の跡。

小さな寺院の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。普濟寺(普済寺/栃木県さくら市)住職。

「道」のお話⑤~ 心の垢を洗い清めて、清らかな閼伽水(香水) ~ 「法の水茎」105

雨上がりの今朝の庭。

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花びらに雨露が光っていました。

今日は宇都宮市のお檀家さんのお宅で一周忌の法要から、お墓の開眼供養、御納骨、御斎(会食)へと続きました。風の強い一日でしたが、昨日の大雨よりは良いですね。ご家族様にとっても、大きな区切りの日となりました。

八王子市の高尾山薬王院では、毎年恒例の「火渡り祭」が執り行われました。

「高尾山マガジン」HPより

mttakaomagazine.com


やはり風が強かったようで、例年にも増して炎が立ち上ったようです。大勢の方にご参加いただけたでしょう。

さて、今月の『高尾山報』「法の水茎」も「道」がテーマです。
筧(かけひ)を流れる閼伽(あか)の道や、昨夜NHKで放送された東大寺のお水取りについても触れました。お読みいただけますと幸いです。

※      ※

「法の水茎」105(2021年3月号)




 ようやく春爛漫の候が近づいてきました。今にもほころびそうな桜のつぼみも準備万端でしょうか。間もなく耳にする開花宣言が待ち遠しい折節です。

  来る春は峰に霞を先立てて

   谷の筧を伝ふなりけり

        (西行『山家集』)

(巡ってくる春は、春霞が立つのを前触れとして、冬の氷も解けはじめて、谷の筧を伝ってくるよ)

 春の霞と秋の霧は、ともに季節の変わり目を感じさせるものとして、古くから和歌などに詠まれてきました。遠くにたなびく春霞は、山の桜にうっすらとお化粧を施すのでしょうか。春を迎えて浮き立つ心が、谷の氷を解かしているかのようです。

 歌に見える「筧(かけひ)」は「掛樋(かけひ)」「懸樋(かけひ)」とも書きます。山などから水を引くために架け渡された樋(とい)のことです。私が住まいするお寺にも竹で作った筧がありますが、冬の間はずっと凍ったままでした。気温が上がって氷が解け、筧から流れ落ちる水の響きが聞こえてきたとき、やっと春が巡ってきたのだという実感が、喜びとともに湧き起こりました。流れ来る筧の道は、自然の息吹と鼓動を知らせる生命(いのち)の道なのかもしれません。

  今朝濁る筧の水は水上に

   誰か仏の閼伽に汲むらん

      (『宝治百首』下野)

(今朝方、筧の水が濁っていたので、川上でどなたかが仏さまに供える水を汲んだのだろうか)

 歌にある「閼伽(あか)」という言葉は聞き慣れないかもしれませんが、もともとサンスクリット語で「価値あるもの」という意味です。「功徳水(くどくすい)」と訳される「神聖な水」を表します。

 この「今朝濁る」の歌では、筧の水を「閼伽」と表現しています。清らかな水を汲みつつ仏道修行に励む、山林の聖人に思いを馳せているのでしょう。

 「焼閼塗花(しょうあずけ)」という仏教語があります。仏さまにお供えする代表的なものを一括りにした名称で、「焼(しょう)」は香を焚く「焼香(しょうこう)」、「閼(あ)」は仏前に供える「閼伽水(あかみず)」、「塗(ず)」は香を塗って清める「塗香(ずこう)」、「花(け)」は花を供える「供花(くげ)」を略したものです。「閼伽」は、煩悩 (心身を悩まし苦しめるもの)である「垢」を洗い流す清浄な水(香水(こうずい))でもあります。

 ちなみに、閼伽を汲む井戸を「閼伽井」、汲み入れる桶を「閼伽桶」、仏さまにお供えする棚を「閼伽棚」、閼伽を入れる器を「閼伽杯」(閼伽器)と言います。これらはすべて仏道修行に欠かせないものです。

 3月12日(旧暦2月12日)には、奈良の東大寺において、春を告げるお水取りの行事が行われます。お水取りでは、閼伽井屋の井戸で閼伽水を汲み、お堂に運んで仏前に供えます。この水は、遠く若狭国(福井県)から奈良まで地中を伝ってきた、神聖な神仏の香水(こうずい)と言われます。

 東大寺と閼伽にまつわる話に次のようなものがあります。

 今は昔。聖武天皇(701~756)が東大寺を建立し開眼供養(仏の魂を迎え入れる法要)を行おうとされた時のこと。行基(668~749)という僧侶を講師(法要を司る人)に任じましたが、行基は「私よりもふさわしい講師が外国から訪れるでしょう」と申し上げると、百人の僧を引き連れて出迎えのために摂津国難波の津に向けて出発しました。

 到着してみると誰一人見当たりません。すると行基は、一前(いちぜん)の閼伽の台(閼伽器)を用意して海上に浮かべました。台は波によって破損することもなく、西に向かって流れ行き、やがて見えなくなりました。

 しばらくすると、閼伽の台が小船を引き連れて帰ってきます。その船には、はるか遠く天竺(インド)から東大寺供養に参列するためにやってきた婆羅門(ばらもん)僧正という僧が乗っていました。

 婆羅門僧正は陸に上がると、行基と互いに手を取り合って喜びました。異国の僧侶同士が仲睦まじくしているのは本当に不思議な光景でした。
     (『今昔物語集』など)

 行基は、閼伽の台を西方の「法(のり)の水上(みなかみ)」へと送りました。婆羅門僧正という高僧に、清らかな閼伽水(香水)をお供えしたのでしょう。その台に導かれると、筧の水が流れるように、法水(ほうすい)(仏の教え)が中国から水下(みなしも)である日本へと流れ着いたのです。

  桜散る筧の水は埋もれて

   花をまかする春の暮れかな

        (『信生法師集』)

(散った桜で筧の水も覆われて、花びらを流れに任せる春の暮れであるよ)

 閼伽に浮かべた花を「閼伽の花」と呼びます。いずれ春の暮れを迎えたら、風に散った桜が閼伽の水面に降りかかるでしょうか。花びらを浮かべた閼伽水をお供えすれば、ご先祖様もきっと春の到来を感じてくださるでしょう。



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最後までお読みくださりありがとうございました。