参道石段脇の彼岸花。
紅白のコントラストに目が留まります。
先日お参りくださった方がキレイに撮ってくださいました。

あんのうん01さま、ありがとうございます!
今月(9月)の『高尾山報』「法の水茎」は、東海道五十三次と仏教との関わりと、忍辱行について書いてみました。お読みいただけましたら幸いです。
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「法の水茎」159(2025月9月号)
露下り
天高くして
秋気清し
(杜甫「夜」)
(露が降りて、秋の気が澄み渡っている)
詩聖と呼ばれた杜甫(712~770の漢詩の一節です。清々しい秋の空気に包まれながら、高い空から降りてきたかのような露が辺り一面にきらめいている様子が歌われています。
二十四節気の白露(今年は9月7日)を迎えて、潤いのある大地に実る野菜や果物、しなやかに頭を垂れる稲の穂にも新しい季節の訪れを実感します。日本列島はまだまだ残暑厳しい中ですが、僅かながらに夏と秋との入れ替わりを告げる風が吹きわたり、大空には秋の雲が高く浮かんでいるでしょうか。昔から、
もののあはれは秋こそまされ
(『徒然草』 第十九段)
(心に深く沁み入る風情は、秋がとりわけ増さっている)
と言われます。駆け足で過ぎ去っていく秋を惜しみながら、できるだけ多くの秋色に気づいていけたらと思います。
清見潟月澄む空の浮雲は
富士の高嶺の煙なりけり
(西行『山家集』)
(清見潟では月の光が清らかに冴え渡っている。空に浮かぶ雲のように見えたのは、富士の高嶺に棚引いている噴煙であったよ)
この歌は、先月号でも取り上げた西行法師(1118~1190)が、「清見潟」(静岡市清水区興津にある清見寺付近の海岸)での秋景色を詠ったものです。「清見」という地名の通りに、空には澄み切った月が輝いていたのでしょう。南には三保の松原、北東の方角には富士山を望む東海道の景勝地で、西行はしばし旅の疲れを癒していたのかもしれません。
この興津宿を含む東海道は、江戸(日本橋)から京都(三条大橋)までの距離が約492キロメートルあります。現代であれば最速の新幹線「のぞみ」で2時間余りの行程ですが、かつては徒歩で半月ほどもかかる長旅でした(ちなみに飛脚は、3・4日で踏破したそうです)。「東海道三大難所」(箱根・鈴鹿・薩埵)と呼ばれる険しい峠もあり、道中には旅人の宿泊地としての「宿場」が整備されました。
ご存知のように、東海道には53の宿場があります(さらに京都から大阪間の4宿を加えて57宿とも言われます)。途中には名所旧跡や風光明媚な場所が多いことから、歌川広重(1797~1858)『東海道五十三次』を始めとする浮世絵や、和歌・俳句といった文芸作品の題材としても取り上げられてきました。
ところで、なぜ「五十三」という宿場の数が決められたのでしょうか。その理由の一つとして語られているのが、『華厳経』というお経に登場する善財童子の話です。
それによれば、修行者の理想とされる善財童子は、発心(仏道修行を行おうとする心)を起こして文殊菩薩の教えを受け、それから53人の善知識(仏の道へと導く指導者)のもとを訪ね歩いて教えを乞い、ついに修行を完成させたそうです。それら53人の中には、僧侶や長者、童子や遊女など、あらゆる階層の人々がいたことが説かれています。
五十三次の由来であるのかは別にして、この善財童子の話を東海道に重ねてみるとき「東海道の道のりは修行の旅路」と捉えることができるでしょうか。五十三次の「次」という漢字には、「宿場」の他にも「継ぐ」(続く)という意味があります。次から次へと歩を進めることによって、心の階梯(段階)も上がっていくものなのかもしれません。
さきほどの西行法師も、東国への旅の途中、東海道の見附宿(現在の静岡県磐田市)近くを流れる天竜川を渡ろうとして、次のような出来事を経験しています。
天竜川の渡し(渡し場)で船に乗ったところ、大人数が乗船していたために沈みそうになりました。先に乗り込んでいた武士が「後から来たあの坊主は下りろ下りろ」と怒鳴ります。西行は「渡し場での争い事はつきもの」と思って気づかないふりをしていると、武士は情け容赦なく馬の鞭で西行を打ちのめしたのでした。
西行は頭から血が出て痛ましい姿となりましたが、少しも恨む様子なく、胸の前で手を合わせながら船を下ります。そして側にいた供の僧に向かって静かに語りました。「仏さまのお心は、まず慈悲(情け深い心)を優先して、私たちのような者をお救いくださるのだ。だから仇を仇で返そうとすれば、その恨みは絶えることがない。『忍の心で敵に向き合えば、仇はすぐに消え失せる』と言われる。どんな時にも利他(他人の幸福を願うこと)を心がけるのが仏道修行の姿なのだ」と。
(『西行物語』)
「目には目を、歯には歯を」という言い方がありますが、西行はそれとは真逆の言葉を投げかけました。同じような仕返しをするのではなく「忍」の一文字で立ち向かう生き方を教え諭しています。
仏教では、あらゆる苦しみを堪え忍び、怒りの気持ちを起こさないことを「忍辱(にんにく)」と呼びます。仏教語「六波羅蜜(ろくはらみつ)」(「悟り」(理想)の境地に至るための六種の修行法)の一つに挙げられている「忍辱行」は、平常心を保ち、慈悲心を育む行いとして重んじられてきました。西行はこの教えを、身をもって実践したのでしょう。
忍辱衣を
身に着れば
戒香涼しく
身に匂ひ
(『梁塵秘抄』)
(堪える心を身にまとえば、芳しい香りが備わっていく)
「旅は道連れ、世は情け」。「忍」とは、堪える心でもあり、相手を認め許す行為でもあるのでしょう。こんな時こそ「堪忍袋」の緒を締めて、清らかで深みのある「忍辱色」に心を染め上げていけたらと思います。
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最後までお読みくださりありがとうございました。