坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

「求不得苦」のお話①~欲望の苦しみ、豊かな道へ~「法の水茎」43

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今日は朝からお墓参りの方を見かけます。
私もご先祖様のお墓に詣でて手を合わせました。

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これから牡丹も咲き出します。
大きな花びらを見つめていると、吸い込まれそうな気持ちになります。


今回の文章は、四苦八苦の「求不得苦(ぐふとっく)」をテーマに、「貧窮の苦」から抜け出すことについて書いたものです。

    ※      ※

「法の水茎」43(2016年1月記)




  年暮れぬ 春来べしとは 思ひ寝に
   まさしく見えて かなふ初夢
           (西行『山家集』)
(年も暮れた。いよいよ春が来るだろうと思って眠ると、まさしく目の前に春が広がっている。初夢が叶ったよ)

 皆さんは、今年どのような「初夢」をご覧になりましたか? 古くは節分の夜(立春)の朝)の夢を初夢と言いました。それはやがて、大晦日や元旦の夜へと移り、いつしか正月2日の夜の夢と定まっていったようです。一説では、大晦日は誰も眠る者がおらず、元旦は逆に皆ぐっすり眠ってしまって夢を見ないからとか。私も幼い頃は、2日の夜に1年の幸せを求めて、「一富士、二鷹、三茄子」と目出度い言葉を呪文のように繰り返しながら横になりました。目覚めてみると、何かを見たような気はするのですが、それは時間とともに薄れゆき、いつも淡い記憶が残されていただけだったように思います。

 はじめに挙げた「年暮れぬ」の歌は、平安時代の終わりごろに生きた西行法師(1118~1190)が詠ったものです。新春を迎えるに当たって、西行はどのような光景を思い描きながら眠りに就いたのでしょうか。穏やかに夜が明け行くように、思い寝覚めの西行には、麗らかな春の光が射し込んでいたのかもしれません。この『山家集』の冒頭を飾る一首は、「初夢」という言葉の初出の歌としても注目されます。

 室町時代になると、良い初夢を見るために、「宝船」の絵を枕の下に敷いて寝るという風習)が始まりました。米俵や宝物を積んだ宝船には七福神が描かれ、船の帆には悪夢を食べるという想像上の動物「獏(ばく)」の文字が記されました。また宝船には、

  なかきよのとをのねふりのみなめさめ
   なみのりふねのをとのよきかな

という「回文歌(かいぶんか)」も添えられました。回文歌とは、「たけやぶやけた」のように、上から読んでも下から読んでも同じ音になっている歌のことです。漢字を当ててみると、

  長き夜の 遠の眠りの 皆目覚め
   波乗り船の 音の良きかな

となるでしょう。「遠の眠り」とは「深い眠り」を意味します。宝船の到来を知る心地良い波の音に、長かった冬の夜から春へと明け行く様子が詠われているのでしょうか。


  ちなみに仏教では、人間が欲望に迷っている姿を「長夜の眠り」と喩えます。金銀財宝とまではいかなくても、欲しいものが手に入らないのは辛いものです。仮に自分のものにできたとしても、次から次へと新たな欲が湧き起こって、尽きることはありません。

 「求不得苦(ぐふとっく)」という仏教語があります。「求めても、思うように得られない苦しみ」は、数ある苦の中でも耐え難いものと言われ、欲望の炎が燃え盛ることは、「貧窮(ひんきゅう)」(貧しくて生活に苦しむこと)と同じ状態であると説いています。

 では、どのようにすれば「貧窮の苦」から抜け出せるのでしょう。いつとも知らぬ宝船の来訪を待つしかないのでしょうか。

 平安時代のお話。金峰山の薊嶽という修験道(しゅげんどう)の修行場に、良算という聖人がいました。聖人は以前から「この身は水の泡のようなもので、命は朝露のようなもの。だからこの世のことは考えずに、後の世のために勤めよう」と思い、故郷を捨てて金峰山に参詣します。出家してからは、草庵を結んで里に出ず、長く穀物と塩を断ち、山菜や木の葉を日常の食事としながら、日夜『法華経』を読んで修行に明け暮れます。

 修行のはじめの頃は、鬼神が邪魔をしに来ましたが、聖人が一心にお経を唱えていると、やがて鬼神も敬うようになり、木の実などを持って来るようになりました。

 聖人は、山の人が食べ物を与えてくれても喜ばず、人がやって来て話しかけても答えようとせず、ただひたすらにお経を読んでいるだけでした。それは、眠っているときも、眠りながら読経する声が聞こえるほどでした。

 さて、いよいよ臨終の時のこと、聖人は顔色が良く、笑みを湛えていました。それを見た人が尋ねます。「最期の時に、なぜ嬉しそうなのですか」と。すると聖人は「長年、貧乏だったが、遂に富み栄えることができたのだよ」と答えます。不思議に思い、「それはどういうことですか」とさらに尋ねてみると、聖人は静かに語りました。「煩悩に汚れた体を捨てて、清浄な身を得ることができたのだよ」と。そう答えると、聖人はそのまま亡くなったのでした。
             (『今昔物語集』)

 仏道修行の乏しいことを「貧道」と言います。ここに登場する聖人は、仏様といつも一緒にいることで、「貧しい道」から「豊かな道」へと分け入ったのではないでしょうか。その道の果てにあるものは、聖人の微笑みが物語っているように、清らかで輝くばかりの世界であったことが想像されます。

  眼前の福を屑(もののかず)にせず、
  身後の禔(さいわい)を専(もっぱ)らにすべし。
       (『玉造小町子壮衰書』)
(目先の幸せに心を留めず、未来の幸せをひたすら求めよう)

 これは、弘法大師空海(774~835)作とも言われる作品の一節です。目先の利益に囚われがちな人間への、戒めの言葉と言えるでしょう。

 先ほどの聖人は、強い志によって欲望の苦しみから逃れることができました。ただ、時には心が折れそうになる瞬間もあったでしょう。そんな時に心の支えとなったのは、懐かしい故郷の面影だったのかもしれません。

     ※      ※

最後までお読みくださりありがとうございました。



 

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