紅葉の季節も後半を迎えています。
夕日に照らされると輝いてキレイですね。
もう少し秋の風情を楽しみたいと思います。
今月の「法の水茎」も「弘法大師空海のお話」です。青竜寺の恵果阿闍梨より真言密教の奥義を全て授かるまでを書いてみました。お読みいただけましたら幸いです。
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「法の水茎」125(2022年11月号)
風吹けば落つるもみぢ葉水清み
散らぬ影さへ底に見えつつ
(『古今集』凡河内躬恒)
(風が吹くと落ちる紅葉の葉は、散り行く先の水が清く澄んでいるので、まだ散らずに枝に残っている紅葉の姿までが、水底にくっきりと映っているよ)
霜降月(十一月)を迎えて、すっかり秋も深まってきました。野山へと紅葉狩りに出かければ、朝夕の冷え込みに頬を赤らめている紅葉が、澄み切った水面に艶やかな姿を映しているでしょうか。やがて、強く冷たい木枯らしが通り過ぎれば、枝先の葉も地上へと離れ行くでしょう。「一葉落ちて天下の秋を知る」という言い回しがあるように、ひらひらと舞い散る木の葉に秋の思いを乗せてみれば、今年の残り日がしみじみと感じられてくるようです。
今月の二十三日は「勤労感謝の日」の祝日です。「国民の祝日に関する法律」に「勤労をたつとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう」日と定められているように、あらためて日々の生活に有り難みを感じ、お互いに感謝の心を送り合います。
勤労感謝の日の起源は古く、もともとは天皇がその年に収穫した穀物を神に供え、自らも食するという「新嘗祭(にいなめさい)」の日に始まったものです。民間でも、収穫祭として五穀豊穣を祝い、大地に感謝する行事が全国で行われてきました。
神事としての意味合いを含む日ではありますが、徳島県の山間では、この十一月二十三日(霜月二十三夜)に「お大師さまのお衣替えの日」(「大師講(だいしこう)」)といって、小豆粥を仏壇に供え、家族も共に食する風習があるそうです。この日は諸国行脚(しょこくあんぎゃ)から弘法大師空海(七七四~八三五)が帰ってくる日と言われ、傷んだ裾を直したり風呂を沸かしたりして、お大師さまを接待するのだとか。弘法大師への恩徳を胸に抱きつつ生き抜いてきた人々の、篤い思いを感じます。
さて今回も、『今昔物語集』の空海伝を見ていきましょう。先月号では、『大日経(だいにちきょう)』というお経を学ぶために、はるばる唐(中国)へと渡り、いよいよ密教の大家であった恵果阿闍梨(けいかあじゃり)(七四六~八〇五)と対面したところまでを読み進めました。その後は次のように続きます。
恵果和尚は空海を見ると、笑みを含みながら喜んで、「私はそなたが来るはずだと前々から知っていたが、ずいぶん長く待っていたぞ。今日やっと会うことができて本当に嬉しい。これまで私には法を授ける弟子がいなかったが、そなたに全てを伝えよう」と仰いました。すると、すぐに仏前に供える香と花を用意し、灌頂(かんじょう)(法を受けるときの儀式)を行う壇に入りました。空海が堂内の大曼荼羅(だいまんだら)(悟りの世界を描いた図画)に花を投げかけると、全てが中央の大日如来(真言密教の教主)に辿り着きます。これを見た和尚は、この上なく空海を褒め称えたのでした。
その後、五百人の僧を招いて法会(斎会)が営まれ、多数の僧侶が空海を称賛しました。和尚は、器の水を他の器にそのまま移し入れるように、密教の奥義を悉く伝授しました。そして「私はそなたに法を授け終わった。早く故郷の日本に帰り、国家に献じて天下に広め、人々の福を増すようにするのだぞ」と教え諭したのでした。
(『今昔物語集』など)
恵果和尚は、空海との出会いを待ち望んでいたようです。恵果和尚の言葉に、
貧(ひん)を済(すく)ふに
財(たから)を以(も)てし、
愚(ぐ)を導(みちび)くに
法(ほう)を以(も)てす。
財(たから)を積(つ)まざるを
以(も)て心(こころ)とし、
法(ほう)を慳(お)しまざるを
以(も)て性(しゃう)とす。
(空海『性霊集』)
(貧民を救うには財物を用い、愚民を導くには仏法を用いる。財物を蓄積しないように注意し、仏法を惜しまずに広めるよう心がける)
という名言があります。微笑みを湛えながら空海を出迎え、積み上げてきた法を出し惜しみすることなく伝授した姿に、恵果和尚の厳しくも温かな人柄を見ることができるでしょう。法を伝えるほどの弟子がいなかったと語る恵果和尚でしたが、亡くなった際には「弟子道俗約千余人。送葬」(千人あまりの弟子の僧侶や俗人が見送った)と記されています(『大唐青龍寺三朝供奉大徳行状』)。多くの弟子たちに慕われていた恵果和尚は、空海の中に特別な何かを感じたのでしょう。
親(おや)を辞(じ)して師(し)に就(つ)き、
飾(かざり)を落(おと)して道(みち)に入(い)る。
(空海『性霊集』)
(親元を離れて仏道の師に就き、髪をそり落として仏道に入る)
恵果和尚も空海も、ひたむきに真言密教を追い求めました。眼の前で目を輝かせている空海の姿に、恵果和尚も若き日の自身を重ね合わせたでしょうか。空海の全てが「掌中(しょうちゅう)の珠(たま)」(最愛の子)のように映っていたのかもしれません。
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最後までお読みくださりありがとうございました。