彼岸明けが近づいてきました(9月25日)。
長かった残暑も一段落して、お寺の彼岸花も見頃を迎えています。
猛暑に豪雨にと不安定な天候のお彼岸でしたが、たくさんの方がお墓参りに見えられました。ありがとうございました。
今月の『高尾山報』「法の水茎」も弘法大師空海をめぐるお話です。高尾山の「岩屋大師」の伝承について書いてみました。お読みいただけましたら幸いです。
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「法の水茎」147(2024年9月号)
三五夜中の
新月の色
二千里の外の
故人の心
(『和漢朗詠集』白居易)
(八月十五夜。東の空から輝き出た月影を眺めながら、二千里の彼方に住んでいる親友の心を思いやるよ)
二十四節気の「白露」(9月7日)を過ぎて、幾分か暑さも和らいできたようです。秋の虫たちも元気に鳴き始めて、涼やかな風を肌に感じるようになってきました。
この漢詩に見える「三五夜」とは、数字の3×5の夜ということで「十五夜」を意味します。陰暦8月15日の「十五夜」は「中秋の名月」と呼ばれ、一年で最も美しく趣深い月として愛でられてきました(今年は9月17日)。月には里芋や梨などの旬のものや、月に見立てたお団子をお供えして、ススキなどの「秋の七草」も飾ります。「お月見」は古く中国から伝わった「収穫に感謝する行事」でもあります。
冒頭の漢詩を作った中唐の詩人白居易(772~846)は、夜空に丸く輝く月を眺めながら、遠く離れて暮らす親友の姿を思い浮かべています。十五夜の特別な光は、心を寄せる二人の距離を縮めてくれる存在でもあるのでしょう。
十五夜を過ぎれば、すぐに秋のお彼岸が巡ってきます。22日の秋分の日を中心(彼岸の中日)とした前後3日間。19日から25日までの7日間です。
彼の国の彼の岸をのみ教へ置きて
月の御舟も西に行くなり
(三条西実隆『雪玉集』)
(河の向こう岸に悟りの世界があるということだけを教え残して、月の御舟も西へと進んでいくよ)
「彼の岸」とは「彼岸」という仏教語を訓読した言葉で、「彼の国」と同様に、遙か西の彼方にあると説かれる西方極楽浄土を表しています。この歌では満月を過ぎて少しずつ欠けていく月の姿を舟に見立てているのでしょうか。お彼岸の夜空の海を、西を目指して漕ぎ渡っているようです。
お彼岸の期間は、太陽がほぼ真東から昇って真西に沈むことから、私たちが住むこの世(此岸)と仏さまが住まわれているあの世(彼岸)とが一直線に結ばれて近くなる日と言われます。沈み行く夕日を見つめながら極楽浄土を願う「日想観」と呼ばれる修行法もありますが、思えば月も太陽と同じように東から西へと進んでいきます。門渡る月の御舟に亡き人への想いを乗せたなら、いつもは遠く感じていた心の距離も近づいてくるでしょう。
さて先月号では、高尾山薬王院に聳え立つ「飯盛杉」(別名「箸立杉」)ついて書きました。引き続き今月号も、高尾山に残る弘法大師空海(774~835)伝承について書いてみたいと思います。
明治時代の終わり頃、錦秋の高尾山を訪れた北村雪子さんという方の紀行文「高尾山紅葉狩の記」(『女学講義』25巻、明治38年(1905)12月)には、「こゝには岩屋大師とて、一つの御堂あり、この山には所々に石像の大師ありて、皆鉄の柵をめぐらしあり、八十八ヶ所などいふ紙札の張りあるを見れば、八十八ヶ所あるにやあらん」と書き留められています。ここに見える八十八箇所の大師像とは、今も高尾山内にある「高尾山内八十八大師」と思われます。明治36年(1903)に高尾山薬王院第二十六世御山主・志賀照林大僧正(1846~1916)が自ら四国八十八箇所を巡られた後に建立なされたものです。この紀行文が書かれた当時は、さぞかし真新しいお姿だったことが想像されます。
また「岩屋大師」とは、琵琶滝の下流にある2つの洞窟(登山コース6号路)を指しているのでしょう。現在の「岩屋大師」には、右側の岩屋にお大師さま、左側にお地蔵さまが祀られています。
ご存知のように「岩屋大師」には、次のようなお話が伝わっています。
お大師さまが高尾山にやってきたところ、にわかに大雨が降ってきました。雨宿りの場所を探していると、大きな岩の近くでうずくまっている巡礼の母子がいます。よく見ると、母は病気で、その娘が介抱しているのでした。
お大師さまはこの親子を救おうと合掌しました。すると突然、目の前の岩屋が崩れ始め、ぽっかりと洞窟が現れたのです。
岩屋の中で親子は身体を温めました。すると母の病もたちまちに癒えて、難を逃れることができたということです。
(『高尾山報』686号「高尾山物語」35参照)
「岩屋」には「斎屋(いはや)」(身を清めるための空間)という語源もあるそうです。長い年月をかけて形成された巨岩の前で、お大師さまは大いなる力を受けながら祈りを捧げられたのでしょう。
鳴く鳥の声も聞こえず岩ばしる
滝の響きのすさまじきかな
(「高尾山紅葉狩の記」より)
(囀る鳥の声も聞こえないほど、滝の響きの激しいことよ)
滝から流れ落ちる白糸は、母子の感謝の涙でしょうか。水の響きに触れながら、高尾山の自然の恵みと、お大師さまの祈りの力を感じます。
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最後までお読みくださりありがとうございました。