玄関先にある、この時期に色づく紅葉です。
秋を感じて不思議な気分になりますね。
石段脇の山吹も見頃を迎えました。
お参りの方を歓迎しています。
さて今月の「法の水茎」は、お釈迦様の誕生を祝う「花祭り」と、引き続いて「弘法大師空海のお話」を書いてみました。お読みいただけましたら幸いです。
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「法の水茎」130(2023年4月号)
今年は例年よりも春の訪れが早かったようです。東京靖国神社の桜(ソメイヨシノ)の標本木も、観測史上最速タイとなる3月14日の開花宣言となり、下旬には見頃を迎えました。満開の桜のもとでの入学式も、今となっては過ぎた昔の思い出でしょうか。この頃は卒業式のほうが似合う花のようにも感じます。
青葉さへ見れば心のとまるかな
散りにし花の名残と思へば
(西行『山家集』)
(青葉さえも見れば心が惹かれるよ。散ってしまった桜の花の名残と思うと)
4月に入って、青葉がまぶしい季節が近づいてきました。この「青葉さへ」の歌を詠んだ西行法師(1118~1190)は、青々とした葉桜の中にも、春色の面影を感じているようです。清々しい新緑を眺めながら、過ぎ去った春を懐かしむ……心地良さと寂しさとが入り交じった心模様なのでしょう。
ちなみに、青葉に混じって咲く桜の花を「青葉の花」(余花(よか))と呼びます。みずみずしい野山に分け入って、咲き残っている桜の花を見かけたら、きっと早春の感動が今一度呼び覚まされるかもしれません。
毎年4月8日は、お釈迦様の誕生日です。この日全国の寺院では、お釈迦様の誕生を祝う「花祭り」(花まつり)という仏教行事が執り行われます。もともとは「灌仏会(かんぶつえ)」と呼ばれ、他にも、仏生会(ぶっしょうえ)・降誕会(ごうたんえ)、浴仏会(よくぶつえ)・龍華会(りゅうげえ)などさまざまな呼称がありますが、日本ではちょうど桜が満開の時期に当たることから「花祭り」という呼び名が多く用いられるようになりました。
お釈迦様は生まれてすぐに7歩進んで、右手で天を、左手で地を指さし、かの有名な「天上天下(てんじょうてんげ)唯我独尊(ゆいがどくそん)」という言葉を発したと伝えられています。花祭りでは、さまざまな春の草花を飾り付けた花御堂(はなみどう)の中に、その時のお姿を表した誕生仏を安置して、頭上から甘茶を注いでお祝いします。
さまばかり見るにつけてもうれしきは
昔の今日を思ひこそやれ
(源道済『道済集』)
(少しばかり見るにつけても有り難いのは、「昔の今日」を思いやることよ)
「昔の今日」とは「かつての年の今日に当たる日」という意味です。この和歌には「四月八日、山寺に即事、灌仏」という詞書が付されていますが、歌を詠んだ源道済(みなもとのみちなり)(?~1019)は、目の前で行われている灌仏を拝しながら、同時に遠い昔の御誕生時の光景を重ね合わせているのでしょう。
4月8日の花祭りは、地方よっては月遅れの5月8日や、旧暦の4月8日(今年は5月27日)に行われるそうです。春とは違った初夏の花々の中で、お釈迦様のご生誕をお祝いしてみてはいかがでしょうか。
真言宗を開かれた弘法大師空海(774~835)もまた、お釈迦様の恩徳を慕って仏道修行に励まれた方です。前回は、若き日に中国から投じた三鈷杵(さんこしょ)が、はるばる海を渡って高野山に留まっていたところまでを読みました。その後は次のように続きます。
お大師さまは都にお帰りになり、さまざまな役職をすべて辞して、弟子たちに諸々の寺の管理を任せました。東寺を実恵僧都に任せ、神護寺を真済僧正に任せ、真言院を真雅僧正に任せ、自身は高雄を去って南山(高野山)にお移りになりました。
高野山には、数多くの堂塔や僧房を造られました。その中でも、高さ16丈(約48メートル)の大塔を造り、丈六(約4・8メートル)の五仏(大日如来とそれを囲む四仏)を安置した地を金剛峯寺と名付けました。
また、入定の場所を造り、承和2年(835)という年の3月21日の寅の時(午前4時頃)に、結跏趺坐(けっかふざ)(仏様の座り方)し大日如来の定印(心の集中を示す手指の形)を結んで、その中で入定なされました。御年62歳。その時、御弟子たちはご遺言によって、弥勒菩薩の名号を唱えました。
(『今昔物語集』)
お大師さまは寺々を弟子たちに譲り、自らは次の目標へと歩み出されました。即ち高野山上に金剛峯寺を開き、心を静めて「入定(にゅうじょう)」なされたのです。
一般的に「入定」は「高僧の死」を指しますが、お大師さまの境地では「今も生きている」と解します。深い瞑想に入ったまま、人々を救うための修行をずっと続けられているのです。
閑林に独坐す 草堂の暁
三宝の声 一鳥に聞く
一鳥声あり 人心あり
声心雲水 倶に了了
(空海『性霊集』)
(暁の頃、静かな林でただ独り座っていると、三宝鳥(仏法僧鳥)の声が聞こえてくる。鳥には鳴き声があり、人には心がある。声と心、雲と水とが私に溶け込んで、悟りの境界が明らかになる)
「入定」の先には「出定」があります。やがて弥勒菩薩がこの世に出現なされるという56億7千万年後に、お大師さまも再びこの世に立ち現れなさるでしょう。遥か未来に思いを馳せつつ、私たちもお大師さまの御心に寄り添って生きたいと念じます。
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最後までお読みくださりありがとうございました。