坊さんブログ、水茎の跡。

小さな寺院の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。普濟寺(普済寺/栃木県さくら市)住職。

弘法大師空海のお話⑮ ~ 高野山での一休和尚、気取らない軽やかさ ~ 「法の水茎」137


お檀家さんがお持ちくださった菊の花。
毎日の水やりが日課です。


ずいぶん花が大きく開いてきましたね。
見頃を迎えています。


さて、今月の「法の水茎」も「弘法大師空海のお話」です。今回は高野山上での一休さんの逸話について書いてみました。お読みいただけましたら幸いです。

※      ※

「法の水茎」137(2023年11月号)

 

 

 「月は明月の秋を知り、花は一様の春を知る」という諺があります。「月は輝くべき秋を知って冴えわたり、花は一面の春の訪れを知って開く」という意味です。この言葉はやがて「真の友はお互いに何も語らなくても心が通じ合うたとえ」としても用いられるようになりました。

 「春の花」に「秋の月」と称されるように、今も夜空には美しい月が照り輝いています。陰暦の八月十五夜と九月十三夜の名月を「二度の月」と言い、十三夜はその年の最後の月見とするところから「名残の月」と呼ばれます。お月見の季節は過ぎ去っても、まだまだ残り惜しく思います。月も同じように、秋との別れを寂しく感じているでしょうか。

  見る人もなくて散りぬる奥山の

   もみぢは夜の錦なりけり

       (『古今集』紀貫之)

(見る人もいないのに散ってしまう奥山の紅葉は、まさに「夜の錦」であることよ)

 十一月に入って、あちらこちらから紅葉の便りが届いています。野山が赤や黄色に色づく景色に目を奪われますが、ふと思えば、夜も変わらず艶やかな錦の衣を纏っているのでしょう。春先の梅であれば、

  春の夜の闇はあやなし梅の花

   色こそ見えね香やはかくるる

    (『古今集』凡河内躬恒)

(春の夜の闇はわけが分からない。梅の花は闇に隠れて見えないけれど、その香りまでは隠せやしないよ)

という歌があるように、香りによって存在が知られますが、秋の紅葉となるとそうはいきません。歌に見える「夜の錦」(闇夜の錦)は「夜は美しい着物を着ても誰にも見られず全く甲斐がないこと」を表しています。たとえ明るい月光が枝先に降り注いでも、錦織りなす紅葉のお披露目は難しいでしょう。夜の帳が下りても燃えるような秋景が広がり、晩秋の風に人知れず散り急いでいる姿にも思いを馳せたいものです。

  山春の開花発心進み

  山夏の涼風煩悩醒む

  山秋の葉落は空亦空

  山冬の素雪は寂亦寂

(春山の開花に信仰の心が起こり、夏山の涼風に心の苦しみから醒める。秋山の落葉には実体がなく、冬山の白雪はひっそりとして静か)

 この詩(し)は「一休さん」でお馴染みの一休宗純(1394~1481)和尚が、高野山に登られて作ったものと伝えられています。高野山の山々を眺めながら、四季折々の風情に仏様の心が詠み込まれています。法の花(仏法の花)に仏心(ほとけごころ)が芽生え、法(のり)の風に煩悩(妄念)が払われ、落葉の先の青空に空(くう)(因縁)を観じ、白雪に静寂(悟りの世界)を観ているのでしょうか。秋の「空」と冬の「寂」を合わせると「空寂(くうじゃく)」となり、それは「苦しみから離れた悟りの境地そのもの」となります。高野山の自然の移り変わりとともに心が深まりゆく有り様を見つめているのでしょう。

 一休さんの漢詩をめぐるお話は、次のようなものです。

 一休和尚が高野山に登られて、あたりの山々を眺めながら漢詩や和歌を考えていると、そこに高野聖(高野山に住む僧侶)たちが集まってきました。一休さんとは知らない聖たちは、本当に作れるのかと口々に笑って冷やかしました。すると「一首できました。硯と紙をお貸しください」と言って、先ほどの漢詩(山春の開花……)を一気に書き始めました。

 聖たちは感心しました。筆跡から一休和尚と分かると、これまでの無礼を謝り、下山しようとする一休和尚を高野山に引き留めます。そして、弘法大師空海(774~835)の頂相(ちんぞう)(肖像)の賛(画に添える言葉)をお願いしたのでした。

 一休和尚はお笑いになると、持ってきたお大師さまの肖像にさらさらと文字をお書きになりました。「弘法大師活仏(いきほとけ)、死ねば野はらの土となる」。聖たちは、この句に深い意味があるのだろうと思い、高野山上の学匠(学者)に見せたところ、ただ面白おかしく書かれているだけと教えられ、開いた口が塞がりませんでした。

          (『一休ばなし』)

 最初の漢詩とは打って変わって、お大師さまの肖像画にはやわらかな句を書き残したようです。学匠が語るように、この歌句を詮索するのは野暮なのかもしれません。お大師さまを盲目的に崇拝する高野聖への皮肉とも、あるいは高野山をお大師さまの「生ける浄土」(生き仏の浄土)として崇めた歌とも捉えることができるでしょう。一休和尚の気取らない軽やかさが伝わってくるようです。

  春の花秋の月にもおとらぬは

   深山の里の雪のあけぼの

   (『建礼門院右京大夫集』)

(春の花や秋の月にも負けず劣らず美しいのは、深い山里の雪の明け方)

 一面の雪景色は、心穏やかな仏様のお姿なのでしょうか。春の花や秋の月と同じように、冬の雪霜(ゆきしも)とも「真の友達」になれたらと思います。



     ※      ※

最後までお読みくださりありがとうございました。