坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

「道」のお話⑫~ 雲の道、心の雲を消し去り「光の雲」に包まれる ~ 「法の水茎」112


今日あたりから気温が下がってくるようです。

来週月曜日は十三夜。
澄んだ空気の中で、どのようなお姿を見せてくれるでしょうか。

庭先で少し色づいた紅葉を見つけました。

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今は緑とのコントラストが楽しめる時期でもありますね。
これから来月にかけて、一日一日、艶やかな姿へと移り変わっていくのでしょう。


今月の『高尾山報』「法の水茎」も「道」がテーマです。「五色の雲」や、遙か雲の先にある清らかな仏さまの世界について書いてみました。お読みいただけますと幸いです。

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「法の水茎」112(2021年10月号)



 秋彼岸の十五夜(中秋の名月)はご覧になられたでしょうか。今年は天文学的にも8年ぶりの満月となったそうです。さぞかし麗しいお姿だったでしょう。というのも、私事ながらその時期に入院をしておりまして、北向きの病室の窓からは拝むことができませんでした。ただ、雲間から覗くお月様を心に思い浮かべて、静かに手を合わせました。

 10月には、十五夜に次いで美しいとされる十三夜(後の月)が巡ってきます(今年は10月18日)。どちらか一方のお月見しかしないことは「片見月」と言って忌み嫌われますが、秋の夜空の月影をそっと眺めてみたいと思っています。

  年毎に雲路まどはぬかりがねは

   心づからや秋を知るらむ

     (『後撰集』凡河内躬恒)

(毎年、雲の中を迷わずにやってくる雁は、自ずと秋の訪れを感じ取っているのだろうか)

 秋が深まり行くにつれて、空気も一段と澄み渡ってきました。高い空を見上げれば、うろこ雲やひつじ雲などがフワフワと規則正しく並んでいます。

 この歌に見える「雲路(くもじ)」とは「雲の中を通る路、鳥や月が通う路」のことです。上空を列をなして飛ぶ鳥の群れは、眼下に広がる秋景色を見渡しながら、私たちが目にすることのできない白雲の路を進んでいるのでしょうか。

 「五色(ごしき)の雲」という言葉があります。仏教で五色は、青(しょう)・黄(おう)・赤(しゃく)・白(びゃく)・黒(こく)の5種の色を表し、五色に輝く雲は、良いことの前兆として「彩雲(さいうん)」「瑞雲(ずいうん)」とも呼ばれます。朝日や夕日に映えた雲に出会えたら、それは良いことが起きる前触れでしょうか。そう思えば、心も雲のように軽くなるような気がします。

 五色の雲の先には、いったい何があるのでしょう。遙か彼方の空を「雲外(うんがい)」と言いますが、仏教語「雲外」には「俗世間の外」という意味もあります。この世(世俗)の汚れに染まらない人を「雲外の鶴」と称するように、白く清らかな世界がどこまでも広がっているのかもしれません。

 雲の道をめぐっては、次のような話が伝わっています。

 敏達天皇(びだつてんのう)(538~585)の御代に、大部屋栖野古(おおとものやすのこ)という男がいました。生まれつき心が清らかで、仏・法・僧の三宝(さんぼう)を深く信じ、心から崇拝していました。

 ある年の冬12月8日、屋栖野古(やすのこ)は難波に移り住み、そこで亡くなりました。死体には異香(良い香り)が漂っていました。天皇は、遺体を7日間そのままにして、その功績を偲ぼうとなされました。

 ところが、3日目にして屋栖野古は生き返ったのです。そして妻子に向かって「五色の雲があって、虹の橋のように北にかかっていた。自然にその雲の道を進んでいくと、良い香りが立ちこめていて、いろいろな名香(みょうごう)(仏に奉る香)を焚いているようだった。

 道のほとりを見ると、顔が照り輝くほどの黄金の山があった。するとそこに、亡くなられた聖徳太子が待っておられ、一緒に山を登っていった。

 黄金の山の頂には、一人の僧侶がいた。聖徳太子は丁寧に礼をし、『この者に仙薬(霊薬)を飲ませてください』と申し上げると、一つの玉を飲ませてくださったのだ。

 聖徳太子は私に向かって『すぐに家に帰って、仏像を作る場所を掃除しておきなさい』と仰った。そこで先ほどの光の道を帰ってくると、いつの間にか生き返っていたのだよ」と語ったのでした。

       (『日本霊異記』)

 虹のように光り輝く雲の先には、仏さまの世界がありました。屋栖野古の遺体から良い匂いが放たれていたのは、仏さまが住まう浄土を歩まれていたからでしょうか。

 後に、山頂にいた僧侶は文殊菩薩の化身(仮の姿)であり、黄金の山は中国の五台山(文殊菩薩の聖地)であったと解き明かされています。日頃から、仏法僧の三宝を敬っていた屋栖野古だったからこそ、仏法を世間に広めるという使命を、今一度お与えくださったのかもしれません。

  煩悩の雲厚く

  仏日の光は晴れ難し

          (『譬喩尽』)

(煩悩が深いと、仏の救いは得られない)

 仏教において「雲」は、時に迷いの「煩悩(ぼんのう)の雲」として取り除く存在ともなり、時に「五色の雲」として仏さまのお姿を観じる機縁ともなります。心にかかった「業雲(ごううん)」(心身の乱れ)を消し去って、五色に光り輝く「光雲(こううん)」に包まれたいと願います。


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最後までお読みくださりありがとうございました。