素朴で丈夫な花です。
シャガの学名は、Iris japonica(アイリス・ジャポニカ)。
でもなぜか、中国原産の帰化植物だそうです。
お寺のような木陰の多い庭が、お好みのようですね。
今回の文章は、十善戒の「不瞋恚(ふしんに)」をテーマに、怒りの火炎について書いたものです。
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「法の水茎」54(2016年12月記)
早いもので、今年も終りの月を迎えました。12月は「師走」「極月」とも呼ばれ、残りの日数を指折り数えながら、日毎に慌ただしさが増していく時節でもあります。秋を彩っていた紅葉やイチョウの葉も、いつの間にか庭に散り敷いて、ザクザクと落ち葉を踏みしめる音に冬の訪れを実感し、空からは紅葉に変わって、心を急かすような雪が、ハラハラと舞い降りてきます。
見るも憂き 師走の月に 埋み火の
仄かなるしも 影すさまじき
(『碧玉集』下冷泉政為)
(見るのも物憂い師走の月に、炉の埋み火がわずかに燃えるのも、寒々しく感じられるよ)
冬の晴夜を見上げれば、秋には多くの人が愛でた名月が、今宵も静かに照り輝いています。歌に見られる「埋み火」は「灰に埋めた炭火」のことですが、そこには比喩的に「内に秘めた恋」や「世に埋もれた嘆き悲しみ」という「思い」が込められる場合もあります。この1年のさまざまな出来事を振り返りながら、時には心が冷え込む夜もあるでしょう。燃える炎に手をかざしながら、身も心も温かくしてごしたいものです。
とは言え、世の中には近づいてはいけない炎もあります。それは「怒りの炎」です。『遺教経』というお経の中にも「瞋心(しんしん)は猛火よりも甚だし」(怒りの心は、燃え立つ炎よりも激しいもの)と説かれているように、一度この炎に包まれたなら、容易に消し去ることはできません。
仏教では、こうした「怒り恨む心」を「瞋恚(しんに)」と呼びます。耳慣れない言葉かもしれませんが、「瞋(しん)」は「怒りによって目を見開く様」を表し、「恚(い)」は「怒りによって、周りを刺激する表情や態度を取ること」です。「激怒」や「逆上」、最近の「キレる」などと近いのですが、仏教語の瞋恚は「自分の心に逆らうものを怒り恨む」という意味です。相手を強く責めて悩ませることは、怒りの火炎を周りに放っていることに他なりません。仏教で瞋恚は「三毒」(3つの煩悩)の1つに数えられ、毒に侵されぬよう「不瞋恚(ふしんに)」(怒りの心を抱かないこと)の教えを説いています。
聖徳太子(574~622)が作ったとされる「十七条憲法」の第10条にも、
忿(ふん)を絶ち瞋(しん)を棄(す)てて、
人の違(たが)ふことを怒(いか)らざれ。
(心に恨みを持たず、表情に怒りを見せず、他人と自分が違うからといって怒ってはならない)
と見え、「忿(ふん)」「瞋(しん)」という仏教語を用いて戒めています。
怒りをめぐっては、次のような話が伝わっています。
昔、お釈迦様が1つの卒塔婆(そとば)(供養のために築いた塔)を拝まれました。すると弟子たちが不思議に思って尋ねます。「仏様こそ拝まれるお方なのに、なぜ卒塔婆を礼拝なされるのですか」と。
すると仏様はお答えになりました。
「昔この国に大王がいて、1人の子供がいた。その子が10歳になったとき、父が病気になった。どうしても治す方法が分からなかったが、ある医師が言うには、『生まれてより以来、瞋恚(しんに)の心を起こしたことがない者の眼と骨髄を取って付けたなら即座に治るはずだ』と言う。
『そのような者がいるはずがない』と皆が嘆いていると、その10歳の太子が『この身を捨てて父のお命を救ってさしあげたい』と強く申し出た。母は嘆いたが、太子の親孝行の心によって、命と引き替えに父を救った。
後日、父は事情を知って悲しみにくれ、『我が子の肉を食べて命を延ばした親など聞いたことがない』と言葉を絞り出すと、子供のために1つの卒塔婆を建立したのだ」と。
仏様はさらに続けました。
「その時の太子とは、実はこの私なのだ。私のために父が立ててくださった塔だから、こうして拝むのだ。おかげで私は正しい道を歩めているのだよ」と。
(『今昔物語集』)
太子の身体は、この世のあらゆる薬よりも優れていました。それは「決して怒らない生活」を送っていたからなのでしょう。その太子の清らかな心が、捨て身の行動(捨身行(しゃしんぎょう))となって結実し、父の心にも本当の眼(心眼(しんがん))
を開かせたように思われます。
彼人(そのひと)瞋(いか)ると雖(いえど)も、
還(かえ)りて我(わ)が失(しつ)を恐(おそ)れよ。
(「十七条憲法」)
(相手が怒ったら、自分の過ちに気をつけよ)
冬の夜の寒く暗い道に、自分の歩むべき方向を見失いそうになることもあるでしょう。怒りによって目を見開きそうになったら、仏様の燃え立つ火焔によって怒りの炎を焼き尽くし、心に芽生えた温かい灯火を頼りとして、気持ち新たに年を越したいものです。
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最後までお読みくださりありがとうございました。