坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

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「時間」のお話⑯~ 三世の仏の心、現世の庭に「善根の種」を ~ 「法の水茎」100

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彼岸花の季節は過ぎ去りましたが、山門前のシュウメイギクはまだまだ元気に咲き誇っています。

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これから訪れる赤や黄色の紅葉時期を前にして、しっかりと白の花弁を目に焼きつけておきたいと思います。

さて、私の文章も区切りの100号となりました。今月は引き続き「時間」をテーマに、過去・現在・未来にわたる「三世の仏の心」について書いてみたものです。お読みいただけますと幸いです。

※      ※

「法の水茎」100(2020年10月記)

 

 

 陰暦十月は神無月と呼ばれます。これは、十月に日本全国の神々が出雲大社に集結して、その他の諸国の神が不在になるという説に由来するとか。神様が留守となり仏様だけ残ることから、陰暦十月を「仏月(ほとけづき)」とする洒落た呼び名も残されています。
  秋風にたなびく雲の絶え間より

   漏れ出づる月の影のさやけさ

       (『新古今集』左京大夫顕輔)

(秋風に吹かれて長くたなびく雲の切れ間から、漏れ来る月の光の澄みきって清らかなことよ)

 秋の夜空を見上げれば、明るい月が皎々と照り輝き、秋風に揺れる大地の草花を優しく包み込んでいます。今年の十五夜(中秋の名月)は十月一日、十三夜(後の月)は十月二十九日です。ひと月に二度巡ってくる名月を、心静かに眺めてみてはいかがでしょうか。たとえ雨雲に隠れてしまって見えなくても、「雨の名月」という言い回しがあるように、満月を心に思い描いてみたり、雨間に仄見える風情を愛でたりするのもまた一興かと思います。

  水の面に宿れる月の影を見て

   三世の仏の心をぞ知る

        (藤原行家『人家集』)

(水面に映る月の姿を見て、三世の仏の心を知ることよ)

 銀色の月の光は、池や湖の上にも降り注いでいるでしょう。水面の月は、まるで鏡のように映っていたり、吹き渡る風に少し揺らめいていたり……さまざまな表情を見せてくれます。

 この歌では、水面の月に「三世の仏の心」を観じています。「三世(みよ)」とは「過去・現在・未来」の「三世(さんぜ)」を意味し、「三際(さんさい)」「過現未(かげんみ)」とも呼ばれます。これら三つの世に存在する一切の仏は「三世諸仏」(三世の仏)と称されます。

 ところで、三世にはどれくらいの仏様がいらっしゃると思われますか。例えば、過去仏としての釈迦仏、現在仏としての阿弥陀仏、未来仏としての弥勒仏の三尊が挙げられることもあれば、「過現未の三千仏」という仏教語があるように、過去・現在・未来にそれぞれ千体の仏が出現すると言われたりもします。また、『仏名経(ぶつみょうきょう)』というお経を読み、三世諸仏の名を唱えて礼拝(敬って拝むこと)する「仏名会」という法会がありますが、その『仏名経』には一万を超える仏様の名が列挙されているのです。行き着くところ、三世には無数の仏様が遍満(あまねく存在)しているということになるのでしょう。

 たくさんの仏様の名をお唱えする仏名会については、次のような記述があります。

 仏名会という行事は、平安時代の承和(八三四~八四八)の初めの年に、静安という僧侶が深草の御門(仁明天皇)の勧めによって始めたものである。後に天皇が命令を下してからは、天下に広く行われるようになっていった。

 『仏名経』には、もしこの過去・現在・未来にわたる三世の仏の名を聞き、あるいはよくお経を書き写し、あるいは仏のお姿を描き、あるいは仏前に香花や伎楽(音楽)を手向けて、深く心を尽くして礼拝すれば、その功徳(善い行いを積んだ報い)は計り知れないほど大きいものがあると説かれている。

 私たちは生まれ変わっても、至る所で三宝(仏法僧)に巡り会うことができる。仏のいない世に堕ちても、心に仏を念じ、口に仏の御名を唱えて、三世の諸仏を拝まなければならない。

 願うところは、三悪道(地獄・餓鬼・畜生)の苦しみをとどめ、国は豊かに人々は暮らしを楽しみ、邪見(間違った考え)の人に善根(善い行いの根本)の心を思い立たせて、皆で一緒に仏の国に生まれることなのだ。

             (『三宝絵』下)

 私たちは今、三世の真ん中の世(現世)を生きています。「値遇(ちぐ)の縁」という言葉があるように、生まれてから今日まで目にしたものは、前世からの因縁(仏縁)による深い巡りあいだったのかもしれません。この話にあるように、仏の名をお唱えしたり、お姿を書き写したり、お花やお香をお供えし、音楽を捧げたりするのが一番でしょうが、それができなくても、いつも心に仏様を感じ、感謝の心を持って生きていくことが大切なのでしょう。

  さしながら三世の仏に奉る

   春咲く花も秋の紅葉も

      (選子内親王『発心和歌集』)

(そっくりそのまま三世の仏にお供えしよう。春に咲く桜の花も、秋を艶やかに彩る紅葉も)

 夜空に輝く月はもちろん、水面に映る月影や、山野に微笑む秋の草花にも、仏様の心が宿っています。それはきっと私たち人間の心の中にも、もともと備わっているのでしょう。まだ見ぬ来世に向けて、この現世の庭に「善根の種」を蒔いていくことができればと思います。



     ※      ※

最後までお読みくださりありがとうございました。

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