坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

「時間」のお話①~刹那、最も小さい時間単位~「法の水茎」85

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八重の桔梗が咲きました。

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桔梗(キキョウ)

ちなみに真言宗智山派の紋は桔梗紋です。梅雨時の潤んだ庭に彩りを加えています。


今回の文章は「時間」の「刹那」をテーマに、刹那の善行を積み重ねる仏の道を歩むことについて書いたものです。

    ※      ※

「法の水茎」85(2019年7月記)






  笹の葉さらさら
  軒端に揺れる
  お星さまきらきら
  金銀砂子
     (「たなばたさま」)

 この時期になると思い出す童謡です。昭和16年(1941)3月に、文部省発行の「うたのほん 下」に掲載されました。今年も願い事を書いた五色の短冊が、笹の葉とともにさらさらと揺れています。

 七夕の行事は、仏教とも深く結び付いています。7月7日は「七日盆(なぬかぼん)」と呼ばれ、地方によっては、お盆の始まりの日として、お墓やお仏壇のお掃除などの準備を行います。

 お盆にはお寺で大施餓鬼会(おおせがきえ)という法要が営まれますが、そこで設けられる壇(施餓鬼壇(せがきだん))の周りに、仏さまのお名前を記した五色の旗(施餓鬼旗(せがきばた))が掛かっているのをご覧になったことがありますでしょうか。仏教の五色とは、青(しょう)(緑(ろく))・黄(おう)・赤(しゃく)・白(びゃく)・黒(こく)(紫(し))の五種の色を表し、それは七夕の「五色の短冊」とも関わっています。願い事を込めた五色の短冊には、仏さまの教えも込められているのです。

 織姫と彦星は、今年は無事に出逢えたでしょうか。限られた時間の中で、2人はどのように時を過ごしたでしょう。輝く夜空の上から、もしかすると私たちの願い事を一緒に読み合ってくれたかもしれません。

  今はとて 別るる時は 天の河
   渡らぬさきに 袖ぞひちぬる
      (『古今集』源宗于朝臣)
(「また来年逢いましょう」と言って別れる時、彦星は天の川を渡る前から、涙で袖が濡れているよ)

 出会いがあれば、必ず別れがあります。1年間待ちに待った2人の逢瀬は、流れ星が一瞬にして消えるように、あっと言う間に過ぎ去るでしょう。たとえ晴夜に会えたとしても、別れ際にはいつも涙が溢れます。

 私たちが生きるこの儚い世の中は、一瞬たりとも時が止まりません。これを仏教では「無常(むじょう)」(常無し)と言います。では、どれくらいの早さで流れているのでしょうか。

 例えば、流れ星が消えるまでの時間は、通常1秒も無いそうです。「流れ星の尾が消えないうちに、願い事を3回唱えれば叶う」という言い伝えがありますが、それは容易なことではありません。また、機械式の腕時計に耳を近づけると「チチチチチ」と音を立てています。これは1秒間に5~10振動のものが多いそうで、0.1秒から0.2秒に1回の割合です。

 仏教では「ほんの短い時間」を「刹那(せつな)」と呼びます。刹那は最も小さい時間単位で、その長さは75分の1秒とも言われ、また指をパチンと弾いて鳴らす(弾指(たんじ))間に、60から65の刹那があるとも言われます。まさに、意識されることのない瞬間です。

 束の間の時間をめぐっては、次のような話が伝わっています。

 今は昔。源満仲朝臣(みなもとのみつなかのあそん)という勇猛で武芸の道に達していた者の家臣に、やはり荒々しい気性の持ち主がいました。日頃から善根(ぜんこん)(善い行い)を作ろうともせずに、殺生(せっしょう)(生き物を殺すこと)ばかりを生業(なりわい)としていました。

 ある時、広い野原で鹿を追っていたときのこと。とある寺の前に差しかかり、馬に乗りながら中をうかがうと、地蔵菩薩が立っておられます。男は少し敬う心を起こすと、左の手で笠を脱いで一礼し、その場を立ち去ったのでした。

 その後さほど時を経ずして、この男は病にかかり亡くなりました。すぐに冥途の閻魔王(えんまおう)の御前にやってくると、周りには多くの罪人がいます。男はこれまでに積み重ねた罪を思い起こして嘆き悲しみました。

 するとそこに、厳かな姿をした1人の小僧が現れ、男に話しかけてきました。「私はそなたを助けてやろうと思う。すぐに国に帰って、これまでの罪を懺悔(さんげ)するが良い」と。「あなたはどなたですか」と尋ねると、「私はそなたが鹿を追っているときに、ちらっと見た地蔵菩薩だ。須臾(しゅゆ)の間(ほんの僅かな間)でも私を敬う心を起こしたので助けたいのだ」と仰ると、男は忽ちに生き返ったのでした。
             (『今昔物語集』)

 ここに登場する男は、地獄の入口に行ってはじめて、自らの罪を自覚しました。生前にお地蔵様に一礼した瞬間など、すっかり忘れていたでしょう。

 それに対してお地蔵様は、男が見せた「白地(あからさま)な敬いの心」(ほんの僅かな信心)をしっかりと覚えてくださっていました。連々と流れ去る時の中で見せた男の一瞬の善行でさえ、しっかりと来世まで付き随っていたのです。

 蘇生した男は、その後は殺生をすることもなく、道心(どうしん)(仏道を願う心)を起こして、日々お地蔵様を念じ続けました。お地蔵様の大いなる慈悲心(じひしん)(情け深い心)を受けて、刹那の善行を積み重ねる仏の道を、新たに歩み始めたのでしょう。

  刹那覚えずといへども、
  これを運びて
  止まざれば、
  命を終ふる期、
  忽ちに至る。
    (『徒然草』108段)

(刹那という一瞬は、意識できないほどに短いけれど、これをずっと積み重ねて過ごしていると、たちまちに命を終える時がやって来る)

 1年ぶりに再会した織姫と彦星は、限られた刹那の時を噛み締めているでしょうか。「刹那生滅(せつなしょうめつ)」という言葉があるように、夜空には今宵も、無数の流れ星が一直線に輝いては、瞬時に消えてゆきます。

     ※      ※

最後までお読みくださりありがとうございました。


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