坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

「道」のお話⑩~ 星の道、夜空の星々に仏さまのお姿を ~ 「法の水茎」110


お墓に百日紅(サルスベリ)が咲いています。

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樹齢はどれくらいでしょう。成長は遅いようなので100年は超えているかもしれません。お墓参りの際にでもご覧いただければと思います。


今月の『高尾山報』「法の水茎」も「道」がテーマです。星の運行する道(星道(せいどう))や、北斗七星の信仰などについて書いてみました。お読みいただけますと幸いです。


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「法の水茎」110(2021年8月号)



 7月7日の七夕は、夜空の星をご覧になりましたでしょうか。ちょうど梅雨の最中でもあり、今年も全国的にすっきりしない空模様だったようです。

  一年に一夜と思へど七夕の

   逢ひ見む秋の限りなきかな

       (『拾遺集』紀貫之)

 (一年(ひととせ)に一夜(ひとよ)の逢瀬と思うけれど、織女星(織姫)と牽牛星(彦星)が出逢う秋は、これからも飽きることなく永遠に続いていくよ)

 たとえ今年は逢えなくても、出逢いの秋は繰り返し巡ってくるでしょう。二星の熱い思いは、いつまでも冷めることがありません。

 歌の中に「逢ひ見む秋」と見えるように、もともと七夕は、旧暦7月7日に行われていた秋の行事でした。現在でも、仙台の七夕まつりが8月7日を中心とする月遅れに開催されているように、本来は秋の気配を感じ始める頃に行われていました。

 なお、今年の8月7日は二十四節気の立秋の日となり、旧暦の7月7日はちょうどお盆中の8月14日に当たります。梅雨時期の夜空よりは、晴れ渡る確率も高まるでしょう。現代の七夕は、7月の新暦・8月の月遅れ・昔ながらの旧暦と3度やってきます。それだけ出逢いのチャンスが増えたと思えば、喜ばしく感じられるでしょうか。

 七夕は、お盆とも結びついています。私が住まう関東地方の一部では、7月1日(8月1日)を「釜蓋朔日(かまぶたついたち)」と言い、ご先祖様があの世から家々に向かって出発する日と考えられています。七夕の7日は、お盆までの折り返し日として「七日盆(なぬかぼん)」とも呼ばれ、お墓掃除などの盆行事の支度を始めます。七夕の期間は、ご先祖様を思う時節でもあるのです。

 かつて、室町時代の歌人でもあり僧侶でもあった正徹(1381~1459)は、七夕の夜空を見上げながら、そこに仏さまのお姿を見ました。

  天の川浮き木の亀の会ひ難き

   御法の影を星に見るかな

        (正徹『草根集』)

(天の川に浮かぶ浮き木の穴に、盲目の亀が入ろうとするのが難しいように、人として生まれたお陰で仏法の光を七夕の星空に見ることができたよ)

 この歌にある「浮き木」には、天の川に浮かぶ「筏」も掛けられているでしょうか。「浮き木の亀」は『涅槃経』などのお経に説く「盲亀浮木(もうきふぼく)」の故事を踏まえたもので、海中に住む目の見えない亀が、100年に1度水面に浮かび上がり、やっと浮き木に遇ってその穴に入るのが難しいように、「仏さまの教えに出会うことは滅多にない」という教えを喩えています。現代人にはなかなか理解しづらいかもしれませんが、「人身は受け難く仏教には遇い難し」という言い回しがあるように、ただでさえ人として生を享けるのは容易ではないのに、さらに仏さまの教えを学ぶ機会に恵まれるのは極めて難しいというのでしょう。

 正徹は、夜空の星々に仏さまのお姿を見ています。盲目の亀がやっと浮き木に遇ったように、正徹もまた仏法の虚空を有り難く拝しているのでしょうか。刻々と移りゆく星の動きに、この世の無常や流転輪廻(果てしなく続く生死の世界)を観じていたかもしれません。

 ちなみに「星祭」という言葉は、七夕をまつる七夕祭を指しますが、密教では、この世の天変地異や個人の息災延命(災難を除き、命を延ばすこと)を祈り、星をまつって供養する法を意味します。星の運行する道(星道(せいどう))は、人々の願いを聞き届け、幸せをもたらす道でもあるのです。

 仏教と星との関わりをめぐっては、次のような不思議な話も伝わっています。

 今となっては昔のこと。永承元年(1046)に焼失した山階寺(今の興福寺)が、2年の歳月をかけて再建されました。完成を祝って多くの僧侶が呼ばれ、音楽が奏されて、再建供養の法要が盛大に営まれました。

 さて、その供養の日の寅(とら)の時(午前4時頃)に、いよいよご本尊の仏さまをお堂に安置しようとしましたが、今にも雨が降りそうで空は暗くかき曇り、星も見えないので時刻が分かりません。側にいた陰陽師の安倍時親という者も「空が曇って星も見えないので、何を目印として時を計ったら良いのでしょう。どうしようもありません」などと話していました。

 すると、突然、風も吹かないのに、お堂の上の方の雲が4・5丈ほど晴れ、北斗七星がはっきりと現れました。このお姿によって、時刻が寅二つ(午前3時半頃)と分かり、仏さまを無事にお入れできたのです。

 空は星を見せるとすぐさま元のように曇ってしまいました。それは本当に不思議な出来事でした。

       (『今昔物語集』)

 この話に見える「丑寅(うしとら)の時刻」(午前2時から4時頃)は「後夜(ごや)」とも呼ばれる時間帯です。法要に集った人々は、何としても一日で最も清らかな時に、仏さまをお堂にお連れしたかったのでしょう。古来より日々の時刻を計り、季節を定める星として親しまれてきた北斗七星は、その願いを聞き入れたかのように、明(さや)かなお姿をお見せになったものと思われます。

  妙見(めうけん)大悲者(だいひしゃ)は、

  北の北にぞおはします。

  衆生願ひを満てむとて、

  空には星とぞ見えたまふ

        (『梁塵秘抄』)

(妙見菩薩(北極星または北斗七星)は、北の果てにいらっしゃる。私たちの願いを叶えようと、空にあって星としてお姿を現している)

 「人は亡くなると星になる」という言い伝えもあります。夜空に瞬く無数の星々を、お盆にお帰りになったご先祖様と眺めたら、星の世界からの見晴らしを、こっそり教えてくれるでしょうか。いつしか私の瞳にも、きらめく星眼(せいがん)(正眼(しょうげん))が輝くかもしれません。


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最後までお読みくださりありがとうございました。