坊さんブログ、水茎の跡。

小さな寺院の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。普濟寺(普済寺/栃木県さくら市)住職。

初盆が終わりました~ 棚経と珍しい御札 ~


今日も雨の一日です。
午前中はスリランカとモンゴル出身の方がお参りに来られました。国際色豊かですね。とても信心深い方々でした。

母の初盆も終わりました。
今年は、夏とは思えないほど肌寒いお盆でした。まるで梅雨時期のように雨が降り続きました。

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冷え込んだからでしょうか、精霊棚の花は長持ちしています。
多くの方に見ていただき嬉しく思いました。ご焼香くださりありがとうございました。

昨日は盆送り火の日。
お墓参りの方が、参道の六地蔵様にお団子をお供えくださったようです。

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手水舎のお地蔵様にも。

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こちらは人数分でしょうか。お団子2つもピッタリと寄り添っています。

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仏さまも喜ばれているようですね。ありがとうございます。

初盆でしたが、私は例年通り棚経に伺いました。

お寺から2㎞ほどの所にある南和田という地区では、珍しい御札をお見せいただきました。江川という川を挟んだ旧奥州街道沿いの地域です。

和田村
わだむら
[現]喜連川町南和田みなみわだ

河戸村の南東、江川流域に位置し、川を挟んで南和田西・南和田東・東山の三字からなる。南和田西を奥州街道が通る。同街道は喜連川宿北東の鶴ヶ坂の中途より北上(現在は道幅を残して廃道)、東へは八溝道・秀衡道とも称する道筋となり江川を渡る。和田は渡の意で名付けられた地名というのが通説である。秀衡道というのは奥州平泉(現岩手県西磐井郡平泉町)との往還路、八溝道は札所回りの巡礼古道である。江川流域で両岸に集落が対置しているのは和田のみである。
『日本歴史地名大系』「和田村」の項




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お話しによると、かなり前に廃寺となったお寺の御札とのこと。

中央に「御祈祷之札 宮星寺」と記されています。右の方には別筆で「法空」と見えます。中央の朱印には何と書いてあるのでしょうか。

中を開くと梵字を記した紙が貼られていました。

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「おん・あ・び・ら・うん・けん」

 

おん‐あびらうんけん【唵阿毘羅吽欠】
《梵 oṃ a vi ra hūṃ khaṃの音写。「唵」は呪文じゅもんの初めに唱える詞で、帰依の意》
大日如来に祈るときの呪文の言葉。また、これに成就の意の「娑婆呵そわか」を付する。これを唱えると一切が成就するという。→阿毘羅吽欠娑婆呵あびらうんけんそわか
『例文 仏教語大辞典』「おん‐あびらうんけん」の項


江戸時代の御札かもしれません。お檀家さんも、よく保存されていましたね。

辞書によると、この地区には、かつて真言宗の宝寿寺というお寺もあったようです。

明治元年(一八六八)七月より喜連川宿への当分助郷を命じられており、勤高三五八石余。鎮守は星宮大明神(現磐裂神社)、真言宗宝寿寺があったが八五年以前に焼失とある。近代に入って南和田村と改称。
『日本歴史地名大系』「和田村」の項


宮星寺(ぐうせいじ)の名は見えませんが、鎮守の星宮大明神と関わりがあるかもしれませんね。江戸時代には廃寺となったのでしょう。

今年もいろいろと勉強をさせていただきました。ありがとうございました。

 

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最後までお読みくださりありがとうございました。