坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

献奏 ~ 心にしみる三味線の音色 ~

昨日は秋晴れの一日でした。

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 秋の草花も元気です。

昨年の11月10日(日曜日)に、普濟寺で箏と三味線のコンサートを開いてくださった田辺明さんが、今年もお寺にお参りくださいました。

昨年のコンサートの模様はこちらです。

www.mizu-kuki.work

 

今年はコンサートというわけではなく、亡くなった母に献奏してくださるために、わざわざの御来山です。

けん‐そう【献奏】
[名](スル)神仏の前で楽曲を演奏し奉納すること。「神楽を―する」
[補説]「故人の好きであった曲を献奏する」のように、亡くなった人の冥福を祈って霊前で楽曲を演奏することをもいう。
『デジタル大辞泉』「献奏」の項


ありがたいですね。

せっかくなので近所の方にもお声がけしました。私も息子と最前列に陣取りました(息子は勝手に田辺さんの「弟子」だと思い込んでいます)。

 

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地歌の中から、追悼の際に披露されることがある「磯千鳥」の御演奏でした。

いそ‐ちどり 【磯千鳥】

【二】箏曲。地唄。生田流(山田流でも演奏)。手事物。菊岡検校(けんぎょう)が地唄として作曲、これに八重崎検校が箏の替手(かえで)をつけた。橘岐山作詞。文政・天保年間(一八一八~四四)に成る。光源氏が須磨で、過去の華やかな生活を追懐する気持をうたう。
『日本国語大辞典』「磯千鳥」の項


ちょうど普濟寺の今の本堂が建立された頃に作られた曲だったのですね。

「磯千鳥」の歌詞も調べてみました。

 

うたた寝の、枕に響くあけの鐘、ままならぬ世の中を、何にたとへん飛鳥川。昨日の渕は今日の瀬と。かはりやすきを変るなと、契りしこともいつしかに、身は浮き舟のかぢを絶え、今は寄るもしら波や。さほしづくか涙の雨か、濡れにぞぬれし濡れころも、身にむけさの浦風を佗びつつや鳴く磯千鳥。

 

  • 底本: 今井通郎『生田山田両流 箏唄全解』上、武蔵野書院、1975年。

https://ja.wikisource.org/wiki/%E7%A3%AF%E5%8D%83%E9%B3%A5 より引用


どうやら『源氏物語』の「須磨」から取材したとも言われるもののようです。


歌詞に見える「世の中を、何にたとへん飛鳥川。昨日の渕は今日の瀬と」は、『古今集』の「世の中は何か常なる飛鳥川昨日の淵ぞ今日は瀬になる」(よみ人しらず)を踏まえたものでしょう。

この歌については、以前「時間」との関わりから書かせていただきました。

 

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三味線の音色に、川のような無常の時の流れを感じました。時間はもう後戻りをしないのですね。あらためて教えていただいた一時でした。

最後にいつも通り本堂前での記念撮影です。


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田辺さんは今日も白河市に移動してコンサートをなされるとか。お忙しいですね。ますますのご活躍を祈念いたします。弟子ともどもまたのお参りをお待ちいたしております。

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最後までお読みくださりありがとうございました。