坊さんブログ、水茎の跡。

小さな寺院の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。普濟寺(普済寺/栃木県さくら市)住職。

対策を講じての講演会 ~ 鎌倉期の密教文学 ~

師走を迎えて、すっかり冬の空気に包まれています。

f:id:mizu-kuki:20201203144025j:plain


散り時を忘れたかのような紅葉に、つい目がとまります。

先日お伝えした月曜日の講演会もなんとか終えることができました。

当日のポスターなどはこちらです。
 

www.mizu-kuki.work

 
その日の朝、栃木は霜が降りていました。
自坊は栃木でも田舎のほうにあるので東京までは往復5時間ほど、講演時間は2時間半という一日でした。

会場となる別院真福寺の入り口には案内板。

f:id:mizu-kuki:20201203144300j:plain


身が引き締まりますね。

なお、当日ご参加くださった同県のご住職様が、話の内容を含めた記事をブログにアップしてくださいました(ブログ名「倫敦巴里」)。ありがとうございます。

e-bozu.at.webry.info


このご時世とあって、会場受付前では消毒に検温。
2つの会議室をつなげる形の、例年よりも広い会場での開催となりました。窓も開け放って換気にも配慮されています。

こちらが会場の様子。

f:id:mizu-kuki:20201203144331j:plain


テーブルごとにお一人の着席です。私の予想よりも多くの方にご参加いただきました。

私はというと、アクリル板越しです。

f:id:mizu-kuki:20201203144355j:plain


皆さんはマスク着用ですが、私は声がこもるので、大声を出さないようマイクを使わせていただきました。アクリル板は初めてでしたが、皆さんのお顔とともに、うっすら自分の顔も映るのですね。時々、ゆがんだ私の顔が気になります。

今回の講演では、パソコンは使わずに、紙のレジュメのみで行いました。20ページほどの資料を作りましたが、最初に導入として以下の表を引用させていただきました(真言宗智山派教学部「真言宗智山派の僧侶養成ー現状と課題ー」「智山ジャーナル」93号、2020年11月)。

f:id:mizu-kuki:20201203144513j:plain

昭和15年度の智山専門学校の授業内容で、密教と文学との関わりや基礎教養がうかがえるものです。
左の列から、学年・授業科目・授業内容、下から順に学年が学年が上がっていきます。

授業内容には、「密教学」や「仏教学」とともに、「漢文」や「国語」も見ることができます。
予科1年の国語では『増鏡』『竹取物語』『徒然草』「国文法作文」と見え、予科2年では『平家物語』『大鏡』『古今集』、 本科1年では『源氏物語』『枕草子』「近世文学」、本科2年では『万葉集』『源氏物語』、本科3年では『古事記』「国文学史」とあります。
当時は専門的な「密教学」の授業とともに、こうした「文学」の科目がカリキュラムの中に組み込まれていたことが分かります。

これらの古典作品の中で興味深いのは、最初の学年で学ぶ『増鏡』でしょうか。

【増鏡】
南北朝時代の歴史物語。一七巻。また、一九巻・二〇巻の増補本がある。著者は二条良基説が有力。応安年間(一三六八~七五)から永和二年(一三七六)頃の成立という。治承四年(一一八〇)の後鳥羽天皇の生誕から元弘三=正慶二年(一三三三)の後醍醐天皇の隠岐からの還幸までの一五〇余年の歴史を和文で綴る。「大鏡」にならい、戯曲的構成をもつが、編年体で記される点、「栄花物語」と近く、「源氏物語」の影響も目立つ。
『日本国語大辞典』「増鏡」の項

なぜ最初に選ばれたのでしょう。『源氏物語』との関係も気になります。

全体的に『徒然草』や『平家物語』など仏教的な作品も見えますが、どちらかというと有名な作品や一話が短いものなど、その世界に入りやすいものが並んでいるように感じます。内容的にも、歴史書、物語、軍記、韻文など、バランスが良いですね。

確か当時の新聞には、担当教員の名前も挙がっていたように記憶しているので、いずれコロナが収まったら図書館で調べてみたいと思っています。

講演の途中、西行(1118~1190)の話の中では、今日ほとんど取り上げられることのない、高神覺昇先生の先行研究にも触れさせていただきました。

・高神覺昇師「西行法師とその宗教ー特に覚鑁上人との関係について」(『智嶺新報』251・253・255・256・259、1922年6月~9月)
 「端的に私をしていはしむれば彼の宗教は、たしかに密教思想によつて裏書きせられたる浄土教であった。別言せば覚鑁上人の秘密念仏の思想によつて育くまれたる浄土門の教へであった。」(『智嶺新報』259)
 「尤も西行は前述の如く浄土門系統の人であつて純然たる真言宗の人ではないが、彼の一代の業績やその思想などを見るに、わが真言宗とは可成りふかい関係がある。例へば彼が出家の後屡次高野に登りて、ひたすら秘密の教風を探りし事や、又かれの無ニの郎等にして同時に唯一の道友であつた西住上人の遺骨を携へて野山に納めし事や、さては又かれの在俗の時の妻が後に尼となつてその娘と野山の天野の別所に隠棲したる事など、これらは蓋し西行と高野との関係の浅からざりし事を物語るものである。」(『智嶺新報』259)

高神覚昇 たかがみ-かくしょう 1894−1948
大正-昭和時代の僧,仏教学者。
明治27年10月28日生まれ。真言宗。大谷大で西田幾多郎に哲学・宗教学をまなぶ。大正12年母校智山勧学院の教授となり,大正大との合併で昭和19年同大教授。昭和9年ラジオ講座で般若心経を講義,また友松円諦(ともまつ-えんたい)と真理運動をおこすなど仏教の大衆化をはかった。昭和23年2月26日死去。55歳。愛知県出身。旧姓は斎藤。著作に「般若心経講義」「密教概論」など。
『日本人名大辞典』より

今から百年程前のものになりますが、当時から興教大師覚鑁(1095~1143)との関わりが論じられていたことが分かります。私も引き続き調査を継続いたします。

今回の講演内容については、いずれ智山勧学会「会報」に抄録していただけるそうです。

今年度は、こうした社会情勢から学会も中止やオンラインでの開催が増えています。久しぶりの対面はいささか緊張しましたが、顔をつきあわせての対話に良い刺激をいただきました。

事前より大変なご準備をされた事務局の方々、またご参加くださった皆さまにあらためて感謝申し上げます。ありがとうございました。


   ※      ※

最後までお読みくださりありがとうございました。