一面のスイセン。
亡き父がお墓に植えたものです。
今年も見事に咲いてくれました。
お彼岸も過ぎ、いよいよ新たな年度が始まります。
ただ、学校なども入学式を遅らせるところが多いようですね。
私が非常勤をしている大正大学も、開始を半月ほど遅らせるそうです(社会情勢によっては、さらに変更される可能性があるとか)。
大正大学では、新たな科目を1つ担当することになりました。
「クリエイティブライティング研究B -2」という科目名で、私の授業では、夭折の詩人・立原道造(1914~1939)の詩を読みます。
【立原道造】たちはら‐みちぞう
[1914~1939]詩人。東京の生まれ。堀辰雄・室生犀星(むろうさいせい)に師事。リルケを好み、「四季」の同人として音楽的な叙情詩を発表した。詩集「萱草(わすれぐさ)に寄す」「暁と夕の詩」など。『デジタル大辞泉』「立原道造」の項
100年ほど前を生きた方ですが、今でも人気のある詩人です。
第1回 中原中也賞を受賞しています。
私が立原道造の詩に本格的に触れたのは、大学3年生の時の小川和佑先生(1930〜2014)の講義でした。最初の授業では、その時の季節に合わせて「爽やかな五月に」という詩を取り上げてくださいました。
* * *
「爽やかな五月に」 立原道造
月の光のこぼれるやうに おまへの頬に
溢れた 涙の大きな粒が すぢを曳いたとて
私は どうして それをささへよう!
おまへは 私を だまらせた……
《星よ おまへはかがやかしい
《花よ おまへは美しかつた
《小鳥よ おまへは優しかつた
……私は語つた おまえの耳に 幾たびも
だが たつた一度も 言いはしなかつた
《私は おまへを 愛してゐる と
《おまへは 私を 愛してゐるか と
はじめての薔薇が ひらくやうに
泣きやめた おまえの頬に
笑ひがうかんだとて
私の心を どこにおかう?
* * *
14行(4・4・3・3)のソネットです。
若さあふれる、みずみずしい詩です。
立原には、このような手作り詩集「散歩詩集」もあります。
かわいらしい字体です。
文字の色を変えているところなどが繊細でオシャレですね。
立原は、詩人でもあり建築家でもありました。
浦和の別所沼公園には、立原が設計したヒヤシンスハウスが再現されています。
「近代建築の楽しみ」HPより
「建築家・立原道造」という本も好きでしたが、今は購入できないようです。
「古書山翡翠」HPより
4月からの授業では、立原道造の詩と古典文学との結びつきを考えたいと持っています。
「授業の目的」には以下のように書きました。
「立原道造(1914〜1939)のソネット(十四行詩、Sonnet)を味読しながら、特にその詩の背景としてある古典文学作品を理解する。立原の詩の中には、『新古今和歌集』をはじめとする和歌が取り込まれている。立原の本歌取りの手法を理解するとともに、本歌を背景とした重層的な世界観についての理解を深める。あわせて立原の周辺を知るため、四季派の詩人や堀辰雄『菜穂子』などについても言及する。なお、詩の表現を身につけるため、学生による詩の創作を計画している。」
例えば、立原の「またある夜に」という詩には、「知ることもなしに 知られることもなく」というフレーズがあります。これは小川和佑先生によって、平安時代末期の歌人 西行法師(1118~1190)の、
うとくなる 人をなにとて 恨むらむ
知られず知らぬ 折もありしに
(『新古今和歌集』)
(次第に疎遠になる恋人をどうして恨むことがあろうか。互いに未知の間柄の折もあったのだから)
という歌の本歌取りと指摘されています。
【本歌取】ほんか‐どり
和歌、連歌などを作る際に、すぐれた古歌や詩の語句、発想、趣向などを意識的に取り入れる表現技巧。新古今集の時代に最も隆盛した。万葉集の「苦しくも降りくる雨か三輪が崎佐野のわたりに家もあらなくに」を本歌として、藤原定家が「駒とめて袖打払ふ蔭もなし佐野のわたりの雪の夕暮」と詠んだ類。
『日本国語大辞典』「本歌取」の項
講義では、こうした和歌世界と詩との重なりを考えながら、立原の詩を深く味わっていければと思っています。学生の皆さんの創作活動にも活かせるような授業も心がけたいですね。
それでは4月からの新たな学生の皆さん、よろしくお願いいたします!
なお、仏教と古典文学との関わりについては、引き続き大東文化大学のほうで『徒然草』を読み進めますので、こちらのご受講の方もお待ちいたしております。
www.mizu-kuki.work
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最後までお読みくださりありがとうございました。