坊さんブログ、水茎の跡。

小さな寺院の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。普濟寺(普済寺/栃木県さくら市)住職。

「道のり」のお話② ~ 東海道、富士山から立ち上る無常の煙 ~ 「法の水茎」158


今日も夏の日差しが降り注いでいます。
「心清浄」の旗が風に揺らめいています。



さて、今月の『高尾山報』「法の水茎」は、東海道から眺める富士山の雄大な景色について書いてみました。お読みいただけましたら幸いです。

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「法の水茎」158(2025月8月号)



 暦の上では秋を迎えました……という言葉も虚しく感じられるほど、今年も異例の猛暑が続いています。気象庁が発表した3ヶ月予報によると、この先10月まで残暑が長引くそうです。頑張りすぎずに「ほどほど」を心がけながら、ゆっくりと近づいてくる秋の足音を心待ちにしたいと思います。

 暑い盛りに、涼しさを感じる歌はいかがでしょうか。

  田子の浦ゆうち出でて見れば真白にそ

   富士の高嶺に雪は降りける

  (『万葉集』山部赤人)

(田子の浦を通って出てみると、富士山の高嶺に真っ白な雪が降り積もっているよ)

 自然詩人、山部赤人(?~736?)によって詠まれた白銀の富士山です。直前の長歌には「神さびて高く貴き」(神々しくて高く貴い)お山とも詠われています。

 雪解けが進んで春先になると、山肌の残雪が鳥の形のように浮かび上がります。「農鳥(のうとり)」と呼ばれる雪模様は、春の訪れを告げる合図でもあり、地元の人々が農作業を始める目安としても受けとめられてきました。

 新緑の頃からは雪解けが加速して「雪解富士」(富士の雪解)の光景が見られるようになり、やがて山頂からも雪が無くなります。

  富士の嶺に降り置く雪は六月の

   十五日に消ぬればその夜降りけり

    (『万葉集』高橋虫麻呂)

(富士の嶺に降り積もっている雪は、6月15日に解けて消えたかと思えば、その夜にはまたすぐ降り始めると言われるよ)

 旧暦の6月15日は、現在の7月中旬から下旬頃に当たります。富士山頂の積雪の深さの平年値データ(1991~2004年)によれば、「積雪なし」となるのは8月に入ってから9月中旬くらいまでの短い期間だけとのこと。富士山は春夏秋冬、季節ごとに異なる表情を見せてくれます。

 全国には「富士見」「富士見町」といった地名が存在しています。日本一高く聳える霊峰は、多くの場所から眺められるとともに、各地に残る「郷土富士」(○○富士)の名称からは、日本人の心を惹きつけてやまない強い思いを見て取ることができます。

 高尾山薬王院にも、山頂へと通じる「富士道」があり、頂上からは「関東富士見百景」にも選ばれた絶景を拝むことができます。奥之院不動堂の奥には富士浅間社が祀られているなど、高尾山と富士山の信仰は分かちがたく深く結びついています。

 冒頭の赤人の歌が「田子の浦」(古くは静岡市清水区蒲原・由比・興津の海岸)からの冬景色を詠っていたように、数ある景勝地の中でも東海道からの眺めには格別なものがあるのでしょう。葛飾北斎(1760~1849)「富嶽三十六景」や歌川広重(1797~1858)『東海道五十三次』などの浮世絵にも描かれ、十返舎一九(1765~1831)『東海道中膝栗毛』に登場する弥次さん喜多さんも富士の絶景を振り仰いでいます。江戸時代中期の俳人、服部土芳(1657~1730)の『三冊子』(「白冊子」)には「東海道の一すぢもしらぬ人、風雅に覚束なし」(東海道も知らない人は芸術を感じる心に頼りない)と見えるように、文芸や絵画などの芸術に携わる者にとっても憧れの道であったのでしょう。

 平安時代の歌物語に『伊勢物語』という作品があります。在原業平と思しき貴族が東海道を旅する「東下り」には、富士山の姿が次のように描かれています。

 富士山を見ると、5月下旬だというのに雪が白く積もっている。

  時知らぬ山は富士の嶺いつとてか

   鹿の子まだらに雪の降るらむ

(季節をわきまえない山は富士の嶺だ。今をいつと思って鹿の子模様のように雪が降り積もっているのだろう)

 その山は、京の都でたとえると、比叡山を20ほど積み上げたような高さで、形は塩尻のようであったよ。

    (『伊勢物語』第9段)

 旧暦5月の晦日(下旬)は、今の7月下旬頃に当たります。夏の富士山に、鹿の毛にある斑のような白い雪が点々と見えた時の驚きが語られています。

 この「東下り」の章段は、後世の風雅の徒にも大きな影響を与えました。例えば、歌僧(歌詠みの僧侶)として名高い西行法師(1118~1190)は、陸奥への旅の途中に駿河国(今の静岡県中部)に差しかかって、業平の歌を思い浮かべながら富士山を遠く望み見ています。西行の一代記『西行物語』には、その時の様子が次のように語られています。

 駿河国に差しかかって、在原業平が「山は富士の嶺いつとてか」と詠じたのも成る程と思われた。遥かに富士山を見上げれば、時期をわきまえているかのような煙が立ち上り、山の中腹まで雲に隠れている。麓は湖をたたえ、南方には原野、前方には青々とした海が満ち満ちて、釣りをするにも都合が良い。

 都を出発してから、多くの山や川、入江や海を乗り越えてきた旅の辛さも、ここに来て少し忘れる心地がした。

  風になびく富士の煙の空に消えて

   行方も知らぬわが思ひかな

(風になびく富士の煙が空に消えて行くように、どこに向かおうとするのか行方も分からない私の思いよ)

  いつとなき思ひは富士の煙にて

   まどろむほどや浮島が原

(いつまでも続く私の思いは、富士の煙のように絶える時がなく、寝起きする場所はここ浮島が原のように、涙が溢れて浮いたように見えるよ)

         (『西行物語』)

 当時の富士山からは噴煙が立ち上っていました。西行は業平に思いを馳せながら、風になびく煙に自らの思いを重ね合わせています。「無常の煙」という言い回しもありますが、消え行く煙に人生行路の儚さを観ていたのでしょうか。風に誘われるまま身を任せ、大いなる自然の動きとともに日々を歩む姿が見て取れるようです。

 時代は下って、富士山は平成25年(2013)6月22日にユネスコの世界文化遺産「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」に登録されました。古くから崇められてきた霊山は、今や世界の文化・自然遺産として世界中の人々を魅了しています。来し方行く末に思いを馳せ、時には人生の指針を与えてくれる存在としても聳え立っているのです。



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最後までお読みくださりありがとうございました。