坊さんブログ、水茎の跡。

小さな寺院の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。普濟寺(普済寺/栃木県さくら市)住職。

「道のり」のお話⑥ ~ 天狗が住まう霊山、修験者の命を繋いだ飯砂 ~ 「法の水茎」162


お寺の柚子の木。
たわわに実っています。


今年は生り物が豊作なのでしょうか。
間もなくの冬至(22日)の日には柚子湯につかって、身体を温めることができればと思います。

12月の『高尾山報』「法の水茎」をアップいたします。今月号では、北国街道の善光寺宿や牟礼宿を進みながら、山岳信仰の聖地に伝わる天狗信仰について書いてみました。お読みいただけましたら幸いです。

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「法の水茎」162(2025月12月号)



  隔て行く世々の面影かきくらし

   雪とふりぬる年の暮かな

     (『新古今集』藤原俊成女)

(遠ざかる年月の思い出は、暗い空から降ってくる雪のようにはっきりしなくて、少しずつ古くなってゆく年の暮であるよ)

 今年も「年の瀬」を迎えました。この時期になると、早くも今年が終わってしまうという寂しさと、また新たな一年が始まるという気ぜわしさが入り交じります。

 思えば、春には梅や桜の花が咲き、夏にはホタルが飛び交い、秋には野山を彩った紅葉の野山も、今は真っ白な雪に覆い隠されて、ひっそりと静まり返っているようです。自然もまた人と同じように、途切れることのない生の営みを繰り返しているのでしょう。

 冒頭の歌にある「面影」とは「目の前にないものが、まるであるかのように目に浮かぶ様子」を表します。数々の思い出は時の移ろいとともに薄らいでいきますが、「面影に立つ」という言い回しもあるように、記憶は心の奥底に重なり合って、ふとした瞬間に呼び戻されるものでもあるのでしょう。懐かしい面影に心を温めながら、来るべき新年を穏やかに迎えることができればと思います。

 さて先月号では、東山道、中山道(木曽路)の宿場町に色づく秋景色に思いを馳せてみました。今月は少し脇街道に入って「北国街道」と呼ばれる道のりを歩いてみたいと思います。ここで取り上げる「北国街道」とは、江戸幕府によって整備された道(脇街道)で、中山道の追分宿(長野県北佐久郡軽井沢町追分)から分岐して高田(新潟県上越市)、直江津に至る街道を指します。佐渡と江戸とを結ぶ重要な道でもあり、途中、善光寺を経由することから「善光寺道」(善光寺街道)とも呼ばれました。

 善光寺と言えば、「牛に引かれて善光寺参り」という諺も思い浮かびます。昔、善光寺近くに住んでいた七十歳ほどの女性が、川で布を日に当てていると、ちょうど放たれていた牛の角に布が引っかかり、取り戻そうと走って後を追いかけてみると、いつの間にか善光寺という霊場に辿り着いていたという話が元となって、「思いがけない導きによって縁が結ばれること」を意味する言葉としても広く使われるようになりました。

 善光寺周辺の地形に目を移せば、背後には「如来の御山」(『長野市誌』参照)とも称される朝日山(旭山・標高785メートル)と大峰山(大峯山・標高828メートル)が立ち並び、西側には山容が富士山に似ているところから名付けられたと伝わる富士ノ塔山(標高992メートル)が連なっています。さらに北西部を遥かに望めば、霊山として名高い戸隠山(標高1904メートル)が聳え立つなど山岳信仰の聖地でもあります。

 北国街道の善光寺宿をさらに進むと、牟礼宿(長野県上水内郡飯綱町牟礼)が見えてきます。牟礼宿は加賀(石川県南部)と江戸との中間の宿場町にあたり、佐渡金山からの中継場所としても賑わいを見せました。

 牟礼宿の西方には、戸隠連峰の一つで戸隠山とも関わりを持つ飯縄山(飯綱山・標高1917メートル)が聳えています。山頂付近には飯縄神社があり、江戸時代末期までは戸隠山・小菅山(長野県飯山市瑞穂)と並ぶ「北信濃三大修験場」の一つとして隆盛を誇りました。

 言うまでもなく、飯縄山は高尾山薬王院とも深く結びついています。高尾山薬王院は、南北朝時代に俊源大徳(永和4年〔1375〕10月4日寂)が「飯縄大権現」を感得して中興されました。以来、真言密教と修験道が融合した道場として尊崇を集めています。今でも飯縄山麓にある大座法師池のほとりでは、毎年のように高尾山薬王院の僧侶を中心とする「飯縄火まつり」(8月10日)が執り行われ、世界平和をはじめとする諸願が祈られています。今年は、俊源大徳が再興されてからちょうど650年。大きな節目の年にも当たっており、その恩徳に感謝する行事が続いています。

 古くから飯縄山は、天狗が住まう霊山としても信仰されてきました。謡曲『鞍馬天狗』には「飯綱の三郎、富士太郎」と見え、富士山に住む太郎天狗とともに、飯縄山の三郎天狗が登場しています。

 三郎天狗にはさまざまな伝説がありますが、その中の一つである「天狗の麦飯」は、 昔、全国的な大飢饉に襲われた年のこと。三郎天狗は飯縄山の土(砂)を食用に変えて日本国中に配りました。この土は「天狗の麦飯」とも、食べられる砂を意味する「飯砂」とも呼ばれました。飯縄山の名称は、この「飯砂(いいずな)」が由来となっているのです……という話です。

 ここに登場する「天狗の麦飯」は緑藻類の一種で、古くから食用とされ、富士山や戸隠・飯縄など火山性の高地に自生していたものだそうです。修験者がこれを食べて、飢えを凌いだとも伝えられています(『日本国語大辞典』等参照)。

 「天狗の麦飯」は、例えば産生地の一つである長野県小諸市のものなどは天然記念物に指定されています。現代では採取は固く禁じられていますが、かつては極寒の山野をめぐり歩いて修行をする修験者(山伏)の命を繋いだ特異植物であったのでしょう。

 時代は下って文政元年(1818)8月、俳人小林一茶(1763~1827)は飯縄山で次の句を詠みました。

  涼しさや

   飯を掘り出す

    飯縄山

   (小林一茶『七番日記』)

 飯縄山に吹きわたる秋風を肌に受けつつ、一茶もまた三郎天狗の神通力(超人的な能力)と温かな慈悲の心を感じていたのでしょうか。篤い信仰を継承する高尾山薬王院の御本堂を拝しながら、お山に満ちあふれる飯縄大権現さまの「霊妙な面影」を感じてみたいと思います。



 

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最後までお読みくださりありがとうございました。