坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

「無財の七施」のお話⑦ ~ 房舍施、温かくもてなす場所を用意する ~ 「法の水茎」121


夏の太陽が戻ってきたようです。


石仏さまの横顔。


お花も明るく輝いています。


先日の両親の法事で供えた花を、永代供養塔にも飾らせていただきました。


8月のお盆も近づいてきました。
ご先祖様のお帰りを待ち望みます。

 さて、今月の「法の水茎」は「日常生活の場を提供すること」がテーマです。「無財の七施」の七つ目は「房舍施」。「温かくもてなす心」の大切さについて考えてみました。お読みいただけましたら幸いです。

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「法の水茎」121(2022年7月号)

 

 

 今年は全国的に雨の季節が短かったようです。「梅雨寒」という言葉もどこへやら……関東甲信地方でも、観測史上最も早い梅雨明け宣言となりました。「空梅雨(からつゆ)、土用蒸(どようむ)し」とも言われるように、この夏は、このまま蒸し暑い天候が続いていくのでしょうか。農作物や日常生活に影響が出ないことを祈ります。

  今さらに山へ帰るな郭公(ほととぎす)

   声の限りは我が宿に鳴け

      (『古今集』よみ人しらず)

(今になって山へ帰るなホトトギスよ。声の続く限りは、我が家の庭先で鳴いてほしいよ)

 ホトトギスは、梅雨が明けて気温が高くなると鳴き止んでしまうそうです。「不如帰(ふじょき)」(帰りたい)という異名もあるホトトギスですが、もう少しの間、透き通る美声を近くで披露してくれたらとも思います。

 7月に入れば、新暦の七夕が巡ってきます。例年は梅雨の最中に当たりますが、今年は晴れた夜空で無事に巡り逢えるかもしれません。

 平安初期の歌人、在原業平(825~880)は、狩りに出かけて天の川という所に辿り着き、そこで酒宴を催したついでに歌を詠みました。

  狩り暮したなばたつめに宿からむ

   天の河原に我は来にけり

(狩りをして日が暮れたので、今宵は織女(たなばたつめ)に宿を借りよう。私たちは天の河原という場所に来てしまったのだから)

 業平は、地名の「天野川(あまのがわ)」(現在の大阪府枚方市を流れる川)から、夜空に輝く「天の川銀河」を連想し、その川岸に住むという織姫(おりひめ)(織女(しょくじょ))に一夜の宿を求めました。

 この歌に対して、側に控えていた紀有常(815~877)も一首)詠じました。

  ひととせにひとたび来ます君待てば

   宿かす人もあらじとぞ思ふ

(以上2首『古今集』『伊勢物語』にもあり)

(一年に一度だけやってくる人を待っているのだから、宿を貸してもらえる男などいないと思うよ)

 梅雨明けが早まった今年、織姫と彦星(ひこぼし)(牽牛(けんぎゅう))は期待に胸をときめかせているかもしれません。たとえ七日以外が晴れ渡っていたとしても、彦星の他には誰一人として泊まることは許されないのでしょう。二人の逢瀬の成就を、短冊に書いた願い事とともに祈りたいと思います。

 さて今回は、こうした来訪者を「温かくもてなす心」について書いてみます。これまで、お金や品物を使わなくても「大果報(だいかほう)」(大いなる幸せ)が得られるという「無財(むざい)の七施(しちせ)」について見てきました。その最後の七つ目に挙げられているのは「房舍施(ぼうしゃせ)」と呼ばれる教えです。

 「房舍施(ぼうしゃせ)」について、『雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)』には「前の父母・師長・沙門・婆羅門に、屋舍の中、行来坐臥を得さしむ」と説かれています。「行来坐臥(ぎょうらいざが)」とは、「行住坐臥(ぎょうじゅうざが)」と同じように、行ったり来たり、座ったり横になったりといった日常の動作を表します。困っている人に対して、いつも通りの生活が送れるように部屋や軒先を貸したり、雨露を凌いで休めるような場を提供することが求められています。

 「一宿一飯(いっしゅくいっぱん)」(一夜の宿と一回の食事を与えられること)という言葉があります。四国八十八箇所を巡るお遍路さんに、食事や宿を用意したりする風習を「御接待(おせったい)」と言いますが、そうした心づくしのお持てなしも、現代に生きる「房舍施(ぼうしゃせ)」の布施行と言えるでしょう。

 ただ、旅の僧侶であっても、すんなりと泊めてくれない場合もあったようです。

 平安時代の終わり頃のお話。西行法師(1118~1190)が、四天王寺(大阪市天王寺区にある和宗総本山)に参詣した時のこと。途中で大雨が降ってきたので、江口(大阪市東淀川区)に住む遊女(ゆうじょ)妙(たえ)のところで宿を借りようとしました。

すると妙(たえ)は承知しない素振りで「そのような出家者の方をここにはお泊めできません」と言ったので、西行は次のような歌を書き付けて出て行ったのでした。

  世の中を厭ふまでこそ難からめ

   仮の宿を惜しむ君かな

(この世から離れて出家するのは難しいでしょうが、旅人に宿を貸すくらいのことも、あなたは惜しむのですね)

 すると妙(たえ)は、西行を呼び戻して歌を返しました。

  世を厭ふ人とし聞けば仮の宿に

   心とむなと思ふばかりぞ

(出家された方と伺ったので、この仮の宿に執着してはいけないと思っただけなのですよ)

      (『西行物語』など)

 この話の中で注目されるのは、二人の歌に詠み込まれている「仮の宿」という言葉でしょう。旅先での一晩の雨宿りを「仮の宿」と歌った西行に対して、この家だけではなく、今生きている現世(俗世)もまた所詮は「仮の宿」のようなものと切り返しています。仏教の教えをもとにして穏やかにたしなめた遊女妙に、出家者西行は一本取られてしまったようです。

  此の世は仮の宿りなり

   (『平家物語』「祇王」)

(この世は儚い、かりそめの住まいのようなもの)

 人生の旅路も、仮の宿りに過ぎないのでしょうか。死出(しで)の田長(たおさ)(あの世から来て鳴く鳥)とも呼ばれるホトトギスがいつの日か山へと帰っていくように、私たちにも旅立ちの日が必ずやってきます。それまでに少しでも果報を積みたいものです。

 

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最後までお読みくださりありがとうございました。