坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

弘法大師空海のお話⑲ ~ 珠洲にとどまった五鈷杵、佐渡と能登をつなぐ大師信仰の航路 ~ 「法の水茎」141


本堂前の黄色い花。


お彼岸でお墓参りの方々をお出迎えしているかのようです。
明日は彼岸明け。ご先祖様との穏やかな時をお過ごしになりましたでしょうか。

さて、今月の『高尾山報』「法の水茎」も弘法大師空海伝説と地震で大きな被害を受けた能登地方との結びつきをめぐるお話です。能登の見附島(法住寺)の桜の木で見つかった五鈷杵と、佐渡・能登・高野山をつなぐ「大師信仰で結ばれた道」について書いてみました。お読みいただけましたら幸いです。

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「法の水茎」141(2024年3月号)

 

  梅が香を桜の花に匂はせて

   柳が枝に咲かせてしがな

   (『後拾遺集』中原致時朝臣)

(梅の香りを桜の花びらに匂わせて、そのまま柳の枝に咲かせたい)

 春といえば、どのような花を思い浮かべますでしょうか。水仙に菜の花、花桃に辛夷(こぶし)など、「百花繚乱(ひゃっかりょうらん)」という言葉があるように、春は数え上げれば切りが無いほどの花々が咲き誇ります。 

 この「梅が香を」の歌では、春を代表する植物として「梅」と「桜」と「柳」が、季節の順を追って挙げられています。梅の花が散っても、その芳しい香りが桜の花に移り漂い、さらにその梅桜が柳の枝に咲いたなら、どれほど素晴らしい名花となるでしょう。

 冒頭の歌はやがて諺(ことわざ)となり「それぞれの持ち味の一番よい点だけを一つのところに集めたい」という意味で使われるようになりました。すべてを揃えたい気持ちは分かりますが、それはあくまでも人間の願望に過ぎません。実際には、そのもの特有の性格があるからこそ美しいものです。短い春ではありますが、移ろう満開の桜に梅の余香を感じ、晩春の風に揺れるしなやかな柳の枝葉に梅や桜の面影を重ねることができたなら、まさに夢のような春爛漫の光景がいつまでも続いているように感じます。

 さて今月号も、弘法大師空海(774~835)と年初の地震で大きな被害を受けた能登地方との結びつきについて書いてみたいと思います。

 石川県珠洲市の南部、鵜飼海岸(うかいかいがん)(着崎海岸)の沖にある名勝「見附島(みつけじま)」は、お大師さまが発見なされた島と伝えられています。太田頼資(?~1807)の『能登名跡志』によると次のようにあります。

 昔、大同年中(806~810)、お大師さまが唐(中国)よりお帰りになる途中のこと。どこからともなく『法華経』を読誦する声が聞こえてきました。その声に従って船を漕ぎ寄せると、今の見附島に着きました。

 船から磯に上がると、年老いた男が現れ「私の住む山に古木の桜があって、夜な夜な光って吼(ほ)える声がする」と語ります。男に導かれて山を登ると、『法華経』を読む声の主はこの桜の木でした。そして光っていた物とは、唐から日本へと投げた五鈷杵(ごこしょ)だったのです。

 お大師さまはこの地にお寺を開き、吼木山(ほえきざん)法住寺(ほうじゅうじ)と名付けました。また案内した老翁は、白山妙理大権現(白山権現と妙理権現)の化身であったということです。

 ここに登場する桜の木は、今でも法住寺の「なき桜物語」として語られており、桜の木に引っ掛かっていたという五鈷杵も今に伝わります。

 この話から思い起こされるのは、若き日のお大師さまが唐の岸から投げた「飛行(ひぎょう)の三鈷(さんこ)」の説話ではないでしょうか(「法の水茎」129)。『今昔物語集』には、三鈷杵は海を渡って高野山上に到達して、檜(別伝では松)の木に突き刺さって留まり、そこから高野山を密教の根本道場と定めたと伝えられています。

 密教の法具である「金剛杵(こんごうしょ)」は、独鈷杵(とっこしょ)・三鈷杵(さんこしょ)・五鈷杵(ごこしょ)の三種類で一揃い(三杵)となります。三鈷杵は高野山の松の木、五鈷杵は能登見附島(法住寺)の桜の木で見つかりましたが、残りの独鈷杵は何処に行ってしまったのでしょう。面白いことに、先ほどの『能登名跡志』には、独鈷杵は佐渡の小比叡山(蓮華峰寺)に留まっていたと記されています(一説では柳の木)。

 お大師さまが三鈷杵だけではなく、三つの三杵(独鈷・三鈷・五鈷)を唐から投じたという型(話型(わけい))は、すでに無住(1226~1312)の仏教説話集『沙石集』(梵舜本)に見え、「五古は東寺にとまり、三古は高野山にとまり、独古は土佐国にとどまりて」(巻二)と語られています。『能登名跡志』にあるような伝承の起源は定かではありませんが、あるいは『沙石集』のような先行する話を基にしながら、東寺を見附島、土佐を佐渡に作り変えて伝えられた可能性もあるでしょう。

 現在でも、佐渡市(かつての佐渡小木町)と珠洲市は姉妹都市となっています。直線距離で100キロ強の両市の港は、カーフェリーで結ばれていた時期もあるなど親密な関係を築いてきました。

 佐渡の小比叡山蓮華峰寺も珠洲の吼木山法住寺も、お大師さまの開山とされる真言宗のお寺です。両寺院で学んでいた僧侶の往来もかつては盛んだったのではないでしょうか。佐渡と能登をつなぐ航路は、まさに「大師信仰で結ばれた道」であったようにも感じるのです。

  吹く風に浪をさまりて能登かなる

   此国よりや春の立つらん

        (正広『松下集』)

(吹き渡る風に波はおさまって、のどかなこの能登国から春が始まっているのだろうか)

 この歌に見られるように「能登」は「のどか」(長閑)に通じます。冷え込んでいるであろう能登地方の方々に穏やかな日常が戻ったとき、希望に満ちた心の春が日本全国へと広がって行くのです。



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最後までお読みくださりありがとうございました。