今日も風が強い一日です。
本堂の廊下を雑巾がけをしましたが、次々に花粉が飛んできます。
お寺にはたくさんの石仏が安置されています。昔、さくら市の多くの方が石仏を彫られたのですが、どういうわけかその後の置き場所に困り、けっきょく普濟寺でお預かりすることになりました。
私としては、境内のあちこちに仏さまがいらして嬉しく思っています。皆さまにも見ていただければ有り難いです。
今回の文章は「楽」をテーマに、山川草木の春の息吹に五感を澄ませることの大切さについて書いてみたものです。
この「法の水茎」を書き始めてから、早いもので7年目に入っています。毎月締め切りに追われています。
はじめの頃は、檀家さんから、もっとやさしい文章にしてほしいと、毎回お叱りを受けていました。今回のものも、今読み返すと論文の癖が抜けていなくて、難しくなってしまっているようです。これからも反省を繰り返しながら、読みやすい文章を磨いていきたいと思っています。
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「法の水茎」21(2014年3月記)
五嶺 蒼蒼雲往来
但憐 大庾万株梅
誰言 春色従東到
露暖 南枝花始開
(『和漢朗詠集』菅三品)
(五つの嶺は青々として茂り、雲はゆっくりと行ったり来たり。ただただ輝かしいのは、大庾の嶺に万株の梅が咲き誇っている姿。誰が言ったのだろう、春は東の方角からやって来ると。露も春の陽射しにあたためられて、南の枝から咲き始めているよ)
弥生(3月)を迎えて、日に日に春めいてきました。東風に乗った梅の香に春を探りながら、南からの桜の便りも待ち遠しく思います。啓蟄を過ぎて、冬ごもりをしていた虫たちも地上に這い出し、新しい命の鼓動も聞こえてきました。
「春」という言葉の由来は、草木の芽がふくらむ「張る」からとも、田畑を切り拓く「墾る」や、気候の「晴る」の意味からとも言われます。力強い春の気配は、私たちを晴れやかな心地へと誘ってくれます。
人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香に匂ひける
(『古今集』紀貫之)
(あなたの心は、どうでしょう。他人の思いは分からないけれど、生まれ育った故郷では、梅の花が昔のままに咲き匂っている)
春は毎年のように巡ってきます。ただ、人の心はどうでしょうか。あれこれ世の中のことに思い悩んで、いつしか去年の自分とは違っているように感じていたり、はたまた自分は変らないのに周りがすっかり変ったように映っていたり。人は時の流れに乗りながら成長しているはずなのに、心の安心(不動心)を得ることはなかなか難しいようです。
平安時代の終わり頃に、このような歌が流行りました。
真言教のめでたさは、蓬窓宮殿隔てなし、
君をも民をも押し並べて、大日如来と説いたまふ
(『梁塵秘抄』仏歌)
(真言密教の素晴らしさは、どのような住まいでも平等なところ。全ての人々が大日如来と一つになれるところ)
大日如来は、真言密教の根本となる仏様です。多くの仏様が現れる曼荼羅(悟りの世界)では中央に描かれ、明るく輝く光(光明)が全てに照りわたっています。大日如来がお住まいになる清く美しい世界(浄土)を「密厳浄浄土」と呼びますが、実はそれは、私たちが住んでいるこの世界なのです。
と、このように頭で理解はしていても、私のような者には、すぐに迷いの心が生まれてしまって、真に実感することができません。この身のまま仏様と一つになれる……それは果たして、どのような世界なのでしょうか。
平安時代のお話。嵯峨天皇(786~842)の御所に、たくさんの高僧が集まりました。列席していた弘法大師空海(774~835)は、皆の前で次のように語ります。「私たち真言宗では、お経を読んだり、教えを勉強したりして、即身成仏(人間はこの身体のままで悟りを開き、仏になること)を説くのである」と。その時、ある僧侶が問いました。「私が読んでいるお経には、即身成仏の文が見当たらない。どのような証拠があって、そのような教えを説かれるのか。あるならば詳しく出されて、皆の疑いを晴らすべきである」と。それに対し空海は「皆さんが読まれているお経には、即身成仏の文は説かれていない」と応じます。すると「証拠があるなら出されよ」とさらに詰め寄るのでした。
そこで空海は、その根拠として、
若人求仏恵 通達菩提心
父母所生身 即証大覚位
という文句を発し、他にもたくさんの例証があることを示します。
しかし、「証拠は分かったが、この文のように実証した人は誰なのか」と言って、なおも迫り引き下がりません。
空海は答えました。「それは、遠くは大日如来、金剛薩埵であり、間近くは私の身体、すなわち是である」と言い切ると、手に印(密印)を結び、口に密言(真言)を唱え、心に観念を起しました。するとどうでしょう、空海の生身の肉体は忽ちに黄金の肌となり、頭上には冠(宝冠)が現れて大日如来のお姿に変じたのです。放たれた光明は辺り一面を明るく照らし、それはまさに密厳浄土そのものでした。
(『平家物語』「高野御幸」)
空海が唱えた文は、『菩提心論』という書物にあるもので、「もし人が仏の智慧を得ようとして、菩提を求める心の三摩地を体得することができれば、父母から生まれた肉身そのままに、すみやかに偉大なる覚者である仏の境地を証ることができる」という意味です(引用は、福田亮成先生『現代語訳 菩提心論』による)。悟りの心を褒め称えた、深遠な言葉(金口)と言えるでしょう。身と言葉と心を浄め、密厳浄土を具現した空海にとっては、僧侶との問答もまた悟りの世界の出来事として煌めいていたのかもしれません。
迷ひしも 一国ぞと さとるなる 真の道の 奥ぞ床しき
(『新後撰集』前大僧正隆弁)
(迷いの世界も、一つの国(密厳浄土)と知ったことよ。仏道の奥深さにさらに心が惹かれていく)
私たちは、仏様の世界で息づいています。時に苦しみを感じても、山川草木の春の息吹に五感を澄ませば、いつしか心も安らぐことでしょう。仏道に精進して育まれた仏の種は、いつしか春の野に咲く草花のように、浄らかな姿となって立ち現れ、喜びに満ちた気高い香気を漂わせるのです。
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最後までお読みくださりありがとうございました。