朝からミゾレが降っています。
今週は寒い日が続いています。
梅も開花も一休みでしょうか。
天気予報によっては「菜種梅雨」と呼ばれますが、今年はやはり暖冬なのですね。
なたね‐づゆ【菜種梅‐雨】
菜の花の咲く3月下旬から4月にかけて、連日降りつづく寒々とした小雨。
『デジタル大辞泉』より
さて、今月の『高尾山報』「法の水茎」も弘法大師空海をめぐるお話です。あらゆる不安をお静めになった「蝉折の笛」の音が、能登の被災地に響き渡ってほしいとの願いを込めて書きました。お読みいただけましたら幸いです。
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「法の水茎」140(2024年2月号)
令和6年元旦に発生した石川県能登地方を震源とする能登半島地震により、被害に遭われた皆さまに謹んでお見舞い申し上げます。一日も早い復旧を心よりお祈り申し上げます。
珠洲の海に朝開きして漕ぎ来れば
長浜の浦に月照りにけり
(『万葉集』大伴家持)
(珠洲(すず)の海から夜明けを待って漕ぎ出して来ると、長浜の浦に着いた時にはもう月が照り輝いていたよ)
この歌は、奈良時代の天平20年(748)の春、当時の越中守(現在の富山県の長官)であった大伴家持(718頃~785)が詠んだものです。能登地方の視察を終えた家持は、早朝に珠洲(現在の富山県珠洲市)の港を出航し「珠洲の海」を南へと進みました。一日かけて辿り着いた長浜の浦には、どのような月が輝いていたでしょう。
今回の地震で被災された方が、地震当日の美しい月を写真に撮られていました。私はニュースで見ましたが、大変な目に遭われている中で「こんな時でも月が綺麗」と仰っていた姿が忘れられません。
あらたまの年行き返り春立たば
まづ我が宿に鴬は鳴け
(『万葉集』大伴家持)
(年が改まって立春を過ぎたなら、まずは私の庭で鴬よ、鳴いておくれ)
長い冬の隣で遠慮していた春も、立春を迎えれば一気に顔を出してくるでしょう。植物も一層芽吹き、冬の間は眠っていた動物たちも活動を再開します。「楽しみの一年は短くて苦しみの一日は長い」(苦しみを感じるほうが痛切)という言い回しがありますが、春の暖かな陽光が、辛い思いをなされている多くの方に降り注ぐよう願います。
今月号では、弘法大師空海(774~835)と音楽、とりわけ須須神社(石川県珠洲市)に伝わる「蝉折(せみおれ)の笛」との結びつきについて書いてみたいと思います。
室町時代に流行した中世芸能、幸若舞(こうわかまい)の一つに、牛若丸(後の源義経〔1159~1189])を主人公とする『烏帽子折(えぼしおり)』という曲があります。その中で「それ笛の名には、漢竹こ竹やう竹、青葉ふた葉、天人の一重がくし、弘法大師の蝉折、我が朝の笛には、宇治山と島竹、より竹なんどとこそ申せ、まだこそ聞かね草刈笛とは」と記されており、中国から渡来した竹で作られた「弘法大師の蝉折」という笛の名が挙げられています。この笛を空高く吹き鳴らすと「万事を静めてあそばしけり」(全ての憂いをお静めになった)とも語られています。
「蝉折の笛」については『平家物語』に、「昔、鳥羽天皇(1103~1156)の御代に、宋の国(今の中国)の皇帝より日本に贈られたもので、蝉のような節がついていた。ある時、高松中納言実衡(1100~1142)がこの笛を吹いたとき、 普通の笛と同じように、うっかり膝より下に置いたところ、笛が無礼を咎めたのか、節の蝉が折れてしまった。この逸話から「蝉折」と呼ばれるようになった」と記されています。
その後は、源頼政(1104~1180)や高倉天皇(1161一~1181)を経て源義経の手に入ったと伝えられていますが、先ほどの幸若舞曲『烏帽子折』に見られたように、やがて弘法大師伝説とも結びついていきました。
やはり源義経の冒険を題材にした室町期のお伽草子『御曹子島渡』には、次のような話が見えます。
かねひら大王は御曹司(義経)をお招きして、珍しい食べ物をそろえ酒を勧めました。ようやく落ち着くと大王は「あなたは笛にすぐれた方と伺っている。一つ吹いてお聞かせください」と申し上げます。
そこで御曹司は「それではお聞きください」と言って「蝉折」という笛を取り出されました。そして「この笛の伝来はこのようなものです。日本に名高い弘法大師という真言宗を開かれた名僧が、唐(中国)へ渡られたついでに天竺(インド)の霊鷲山に行かれました。嶺を過ぎ、河の向こうには滝があって、滝のもとには竹が生えていました。
弘法大師はあまりにも良い竹だったので、この竹を三節に切り『縁があればまた日本で巡り会おう』と言って河に流します。
やがて日本に流れてきた竹を弘法大師が見つけられ、言葉を交わしてお取り上げになりました。本当に不思議な竹でございます」と語ると、青海波(せいがいは)という楽(曲)を「天へも響け」とばかりにお吹きになったのでした。
(『御曹子島渡』)
ここでは「蝉折」が弘法大師由来の笛と伝えられています。『平家物語』に語られていた中国伝来の「蝉折」が、いつしか弘法大師の伝説とも結びついていったのでしょう。
御曹司が吹かれた「青海波」は雅楽(舞楽)・管絃の曲名で、雅楽の中でも華麗で優雅な名曲と称されます。「蝉折」の澄んだ音色は、きっと虚空へと広がり鳴り響いたでしょう。
伝説によると、義経は都落ちして能登へと向かい、流罪となっていた平時忠(1130?~1189)の家で一泊すると珠洲の海へと漕ぎ出したとか。途中で海が大荒れとなり、須須の神に祈ったところ難を逃れることができたので「蝉折」を須須神社に奉納したと伝えられています(須須神社蔵『蝉折笛縁起』)。
白波の打ち驚かす岩の上に
寝入らで松の幾世経ぬらん
(八坂本『平家物語』平時忠)
(白波が打ち寄せては目を覚まさせる岩の上で、松は眠りにつくこともなくどれほどの世代を経ているのだろうか)
この度の大地震により須須神社も一部が倒壊し、弘法大師が発見したという名勝「見附島」(珠洲市)の岸壁も崩落するという被害を受けました。あらゆる不安を取り除いた笛の音が、今こそ被災地に響き渡ることを切に祈ります。
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最後までお読みくださりありがとうございました。