坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

「修羅道」のお話~争いを拾う、見失う慈悲の心~「法の水茎」69

日に日に花の数が増えて来ました。

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睡蓮

お参りくださる方も、池の睡蓮に目が留まるようです。
みなさん「キレイですね~」と言ってくれます。


今回の文章は、六道の「修羅道」をテーマとして、常に激しい争いが行われる場所について書いたものです。

    ※      ※

「法の水茎」69(2018年3月記)




  咲きし時 猶こそ見しか 桃の花
   散れば惜しくぞ 思ひなりぬる
          (『拾遺集』不知)
(咲いた時に、心ひかれた桃の花よ。散ってしまうので、愛おしく思うようになったよ)

 梅や桜と並んで、桃の花も春を代表する植物です。古くから日本に渡来し、春を告げる花の一つとして、多くの人を魅了してきました。

 桃は、柳や石榴(ざくろ)とともに邪気を払う力がある木としても信じられてきました。3月3日の雛祭が「桃の節句」と呼ばれるのも、こうした意味が込められています。

  薄く濃く 今日咲き合へる 桃の花
   酔ひをすすむる 色にぞ有りける
        (『永久百首』藤原仲実)
(薄く濃く、咲き合っている桃の花よ。酔いを奨める色であるよ)

 この歌には、桃と酒とが組み合わされています。美しく咲きほこる花を愛でながら飲む酒は、もしかすると桃の花を盃に浮かせた「桃花酒(とうかしゅ)」でしょうか。病を取り除く仙木と寄り添い、酒を酌み交わす光景は、まさに桃源郷といった装いです。

 冬ごもりの虫が這い出る啓蟄(けいちつ)を過ぎれば、七十二候の「桃始笑(ももはじめてさく)」が巡ってきます。今年は3月11日。この日、高尾山薬王院では「高尾山火渡り祭」が執り行われます。悪鬼を払い平和をもたらす桃のように、修験者を先達として世界平和が一心に祈られます。

 さてこれまで、仏教で説く6つの世界(六道)の中から、「地獄」「餓鬼」「畜生」を見てきました。今回はその上の「修羅(しゅら)」の世界を覗いてみたいと思います。

 現代では、「修羅」と聞くと「修羅場」(激しい争いが行われる場所)という言葉を思い浮かべる方も多いでしょう。鎌倉時代の説話集に「闘争(とうそう)を企てて戦いを好む者は、修羅道(しゅらどう)に堕ちて苦しみを受けることになる」(無住『妻鏡』)と記されています。

 「修羅道」は、先に挙げた「地獄」「餓鬼」「畜生」の「三悪道」に対して、「人」「天」とともに「三善道」の一つと言われます。ただ、争いの絶えない世界だからでしょうか、三悪道に加えて「四悪趣」(四悪道)に含まれる場合もあります。

 では、修羅(阿修羅(あしゅら))とは、どのような姿をしているのでしょう。平安時代中頃の物語に、阿修羅と出会った際の様子が語られています。

 清原俊蔭(としかげ)という男が、大きな山の峰から眺めてみると、山頂が天に突くほどの険しい山が、遥か向こうに見えました。俊蔭の気持ちは高ぶり、足を急がせて、やっと山の頂に辿り着いて辺りを見渡してみれば、千丈(約3000メートル)下に見える谷底に根を張り、木の先は空を突くほど高く、枝は隣の国にまで伸びた桐の木を切り倒して、細工を施している者がいました。

 その者の髪の毛を見ると、何本もの剣を逆立てたようでした。顔は燃え盛る炎のように真っ赤で、手足は鋤(すき)や鍬(くわ)のように堅く、眼は金属のお椀のようにキラキラと輝いています。たくさんの女性や老人、子供や孫を引き連れて、皆で木を切っていました。

 阿修羅は俊蔭を見つけ、怒りの形相で言うには、「お前は、どうしてここに来たのだ。阿修羅の万劫(まんごう)(とてつもなく長い時間)の罪の半分を過ぎるまで、虎)、狼、虫けらと雖も、人の世に近いものを寄せ付けず、この山にやって来る獣は、阿修羅の餌食とせよと決められているのだ」と、眼を車輪のようにぐるぐる回し、歯を剣の刃のようにむき出して怒ったのでした。

 俊蔭は涙を流しながら、父母と手を取り合って別れた日から、今日までのことを詳しく話しました。すると阿修羅は、「我らは、昔罪業が深かったために、このような醜い身を受けたのだ。だから、忍辱(にんにく)(苦しみに耐え忍ぶこと)の心など持っていない。だがそうはいっても、身内を愛おしく思う気持ちは同じだから、特別にお前の命を許してやろう。すぐにここから立ち去って、阿修羅のために、大般若経(だいはんにゃきょう)(玄奘三蔵(げんじょうさんぞう)が訳したとされる600巻にも及ぶ経典を書写して、我々を供養するのだぞ。お前に、父母の許へ帰るきっかけを与えてやろう」と言うのでした。
          (『宇津保物語』)

 阿修羅は、前世での悪業によって修羅道に堕ちました。この話の中で、「忍辱(にんにく)の心」と見えますが、諍(いさか)いの心から起こる妬(ねた)みや憎(にく)しみによって、相手を思いやる「慈悲(じひ)の心」を見失っていたのでしょう。その罪は本人のみならず子々孫々にまで及んでいます。

 しかし、山深い奥地で、阿修羅なりに罪を償っていたのでしょう。俊蔭に見せた父母への思いは、長い時間をかけて得られた、「阿修羅が見せた慈悲の片鱗(へんりん)」だったように思われます。

  浅ましや 苦しき海の 荒磯に
   諍(いさか)ひをのみ 拾ひけるかな
            (『閑谷集』)
(情けないなあ。ただでさえ苦しみが果てしなく広がっている人の世で、争いだけを拾って生きるのは)

 穏やかな季節が巡ってきました。ちょっと空を見上げれば、暖かな春風に揺れる「桃の微笑み」に、きっと出会えることでしょう。

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最後までお読みくださりありがとうございました。