坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

弘法大師空海のお話⑬ ~ 修円僧都の茹栗、法力の験競べ ~ 「法の水茎」134


植えたわけでもないのに夏水仙(ナツズイセン)が咲き出しました。


雨上がりの雫に濡れています。花が咲く時期に葉が無いことから「裸百合」とも呼ばれるそうです。


今月の「法の水茎」も「弘法大師空海のお話」です。今までの空海伝とは一風変わった、法力によって生栗を茹(ゆ)で栗にした話について書いてみました。お読みいただけましたら幸いです。

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「法の水茎」134(2023年8月号)




 「記録的大雨」に「記録的猛暑」。この夏も全国的に異常気象が続いています。被害に遭われた皆さまにお見舞い申し上げますとともに、一日も早い復旧を心よりお祈りいたします。

 「蚤の四月、蚊の五月、六月蝉の泣き別れ、盆は七月十五日、団子食らおう、餅食らおう、大蒲団二枚で昼寝しよう」(『譬喩尽』)。これは江戸時代の諺です。旧暦の春から夏にかけての風物が並べられています。梅雨明け頃に鳴き始めた蝉も、命を繋いでいくために泣き別れを繰り返しているのでしょうか。「命の掛け替えはない」とは言われますが、降るような蝉時雨の響きに、変わらない自然の営みを感じます。

 二十四節気の立秋(8月8日)を過ぎれば、これまでの暑さもいくぶん治まり、心地よい風が吹き渡るでしょうか。

  秋の野に人まつ虫の声すなり

   我かと行きていざ訪はむ

      (『古今集』読人不知)

(秋の野原で人を待つという松虫の声がする。「私を待っているのか」と、さあ尋ね求めてみよう)

 秋の訪れとともに、蝉に変わって涼やかな虫の音も聞こえてくるでしょう。この歌に見える「松虫」は、今の「鈴虫」を指していると言われますが、「人まつ虫」の「まつ」には、松虫の「松」と人を「待つ」という意味が掛けられています。お盆にお帰りになるご先祖様がこちらの世界に向かわれているように、秋の虫たちも出会いを待ち望みつつ近づいてくるのでしょうか。清らかな声を頼りに、こちらからお出迎えしたい気持ちになります。

  その折の蓬が本の枕にも

   さこそは虫の音にはむつれめ

      (西行『山家集』)

(私が亡くなるときの、蓬が生い茂った家の枕元でも、このように虫の音に慣れ親しんでいたいよ)

 この歌は、7月15日の盂蘭盆の夜に詠まれたものとも言われます(『西行物語』)。古人の面影を思い浮かべながら、自らの命の終わりにも目を向けたのでしょう。多くの虫たちに見送られたいという心の声に耳を傾けています。

 こうした姿を見るとき、私事になりますが、7年前の8月に亡くなった先代住職(父)の歌を思い出します。

  病床に蜂虫つばめ近寄りて

   我れの生命もこれが最期か

    (髙橋秀道『遅日』)

 闘病生活の終止符を前にして集まってきたのでしょうか。若き日は高尾山の自然に抱かれての修行生活、自坊に戻ってからも四季折々の移り変わりと共に生きてきた父の旅立ちを、皆で見送ってくれたのかもしれません。

 さて今回も、今に伝わる弘法大師空海(774~834)伝を読み進めたいと思います。『今昔物語集』の中には、これまでのようなお大師さまの超人的なお姿とは一風変わった話も収められています。

 今は昔。嵯峨天皇(796~842)の御代に弘法大師と申し上げる方がいらっしゃいました。天皇の護持僧でもありました。一方、山階寺の修円(771~835)という方もまた護持僧として仕えていました。お二人ともたいへんすぐれた方で、天皇も平等に扱っていました。

 ある時、修円が天皇の御前にいた時、そこに大きな生栗がありました。すると修円は「法の力で茹でて見せましょう」と提案します。さっそく修円に修法をさせてみたところ、とてもよく茹でられたので天皇はこれを尊ばれて、何度もそういうことを行わせました。

 さて、天皇がこれを弘法大師にお話しなさると、大師は「それならその時に私は脇に隠れて加持をしてみましょう」と語ります。そこで修円を召していつものように生栗を茹でさせてみますが全く茹であがりません。修円が不思議に思っていると大師が姿を現します。「この人が邪魔をしていたのか」と悟ると、忽ちに嫉妬の心が芽生えました。

 その後、二人の仲は悪くなり、互いに「死ね、死ね」とばかりに呪詛(じゅそ)(災いが起るよう神仏に祈願)し合いましたが、力が互角だったために何日も続いたのでした。

       (『今昔物語集』)

 続きは次回にしたいと思います。二人は日頃から天皇をお守りするために法力を競い合っていたのでしょう。些細なことから喧嘩は起こると言いますが、茹で栗の遺恨から呪詛(じゅそ)の験競(げんくら)べ(験力の優劣を競うこと)へと発展してしまいました。どんなにすぐれた人物であっても、何かの拍子に人間の本性が現れると言うことを語っているのかもしれません。

 なお、お大師さまが書かれた『風信帖(ふうしんじょう)』(空海が最澄に宛てた手紙)の中では、仏法について語り合う僧侶として、最澄(767~822)とこの修円(一説では堅慧)が挙げられています。実際の二人は、お互いに力を合わせて仏法の興隆に尽力していたのです。

  咒詛諸毒薬(しゅそしょどくやく)

  所欲害身者(しょよくがいしんじゃ)

  念彼観音力(ねんぴかんのんりき)

  還著於本人(げんじゃくおほんにん)

   (『法華経』観世音菩薩普門品)

(呪いや毒によって害を与えようとする者がいるときは、観音さまのお力を念じれば、それは呪った本人へと戻っていく)

 「善因善果(ぜんいんぜんか)、悪因悪果(あくいんあっか)」(良い行いからは、良い結果が起こり、悪い行いからは悪い結果が起こる)。あらゆる行いは、めぐりめぐって自分に報いが返ってきます。常に周りを慈しめば、この世はいつも明るい光で満ちあふれるのでしょう。



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最後までお読みくださりありがとうございました。