坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

弘法大師空海のお話⑭ ~ 験競べの結末、悲しみのない「果て」を見据えて ~ 「法の水茎」135


今日は彼岸の入り。
朝からお墓参りの方もいらしています。

名にし負う彼岸花も咲き始めました。


これから彼岸の中日に向けて、日に日に咲き出してくるのでしょう。

お彼岸中、私のほうは棚経に歩きます。
お盆中に伺えなかったお檀家さんのお宅をめぐります。どうぞよろしくお願いいたします。

さて、今月の「法の水茎」も「弘法大師空海のお話」です。前回に続いて、空海と修円の験競べについて書いてみました。お読みいただけましたら幸いです。

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「法の水茎」135(2023年9月号)



 「暑さの果ても彼岸まで、寒さの果ても彼岸まで」という江戸時代の諺があります。8月から続いている残暑も、「果て」(区切り)のお彼岸を過ぎれば少しずつ和らいでくるでしょうか。
  秋あさき日影に夏は残れども
   暮るるまがきは荻の上風
       (慈円『拾玉集』)
(浅い秋の陽光にまだ夏は残っているけれど、夕暮れ時の垣根には荻の上風が吹き過ぎているよ)
 リーンリーン、チンチロリン。コロコロコロ、スイッチョン。陽が傾き夕闇が迫ってくると、さまざまな虫の音が聞こえてきます。
 この「秋あさき」の歌に見える「荻(おぎ)」は、薄(すすき)に似た穂を持つ植物です。穂を吹き動かす風を「荻風」と呼び、それは何かを招く「招(お)ぎ風」としても掛けられます。そよそよと吹きわたる風に乗って、秋の虫たちも近くにやって来たのでしょうか。涼やかな音色が、胸の奥まで沁み入ります。
  世にふるに物思ふとしもなけれども
   月にいくたび眺めしつらん
     (『拾遺集』具平親王)
(この憂き世に生きているからと言って、いつも物思いに耽るわけではないけれど、月に幾度、空の月を眺めたであろう)
 月の美しい季節を迎えました。秋雨によって大気中の塵が洗い流され、澄み切った空気の中で月や星も冴え返っているでしょう。区切りのお彼岸を過ぎれば、中秋の名月(十五夜。今年は9月29日)や後の月(十三夜。今年は10月27日)も巡ってきます。月は、この無常の世(生きることの苦しい世)と同じように満ち欠けを繰り返しています。辛いこの世にあって、時には夜空の月が涙で霞む日もあるかもしれませんが、円かな月の光に導かれながら、心の塵も払っていければと思います。
 さて前月号では、弘法大師空海(774~834)と修円(771~835)との、茹で栗に端を発した験競(げんくら)べについて書いてみました。「験競べ」の「験」には「仏教の修行を積んだ効き目」という意味があります。天皇の護持僧(天皇の身体を護るための僧)としてライバル関係でもあった二人は、切っ掛けがどんなことであっても、お互いに負けるわけにはいかなかったのでしょう。
 ちなみに、「験競べ」と似た響きに「験担(げんかつ)ぎ」があります。験担ぎは「良い結果が出た行為を繰り返し行う」ことですが、この「験」はもともとは「縁起」という言葉だったそうです。江戸時代に「縁起」を「ぎえん」と逆さ言葉で話すようになり、それがやがて「げん」に変化していったとか。粋な遊び心から生まれた言葉の移り変わりを感(かん)じます。
 さて、茹で栗の恨みから始まった験競べは、どちらが勝つのか分からないほど拮抗していました。結局、どのような結末となったのでしょう。話は次のように続きます。
 その時大師は策をめぐらして、弟子たちを市(いち)へやって葬具を買わせました。そして「空海はもう亡くなられたので葬式の道具を買いに来た」と噂を吹いて回らせました。
 これを聞いた修円の弟子は、喜んで走り帰り師に伝えました。修円は歓喜し「これはまさに私の呪詛(じゅそ)(祈禱(きとう)が効いたのだ」と確信して修法を終わらせました。
 大師は、ひそかに修円のもとに使者を送り様子を探らせます。使いの者が「修円は『呪詛の効き目があった』と言って喜び、今朝、修法を終わらせました」と話すと、大師はますます力を込めて祈りました。すると修円はたちまちに死んでしまったのでした。
 後に大師は「修円とはどのような人だったのだろう」と思い、魂を招き返す修法を行うと、壇の上に軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)が立ち現れます。大師は「やはり、修円は徒人(ただびと)(普通の人)ではなかった」と言って、すべてを終わりにしたのでした。
 これを思うと、菩薩がこのような殺生を行われたのは、その後の修円の悪行を止めようとしたためであったのだ、と語り伝えています。
        (『今昔物語集』)
 「謀(はかりごと)は密なるをもって良しとす」とも言われますが、お大師さまは相手に悟られないようにして事を進めました。軍荼利明王の化身(けしん)(神仏が人間の姿として現れたもの)であった修円に打ち勝ったとの記述は、お大師さまがそれ以上の力を兼ね備えていたことを物語るものでもあるしょう。卓越した洞察力によって未来の悪事を防いだと締め括っています。
  其の道
  容受し難きなり、
  之れを
  栗棘蓬(りっきょくほう)と謂ふ。
    (『元亨釈書』)
(その道を受け入れるのは難しい。これを栗棘蓬と言う)
 栗にも棘(いばら)にもトゲがあり、どうしても呑みこむ(受けいれる、納得する)ことのできないものを喩えています。苦しい出来事に対して、その時は「呑却(どんきゃく)」(丸呑み)できなくても、月もいつかは憂いのない満月となるように、悲しみのない「果て」へときっと辿り着けるのでしょう。



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最後までお読みくださりありがとうございました。