芙蓉が風に揺れています。
お盆は台風の影響を受けるのでしょうか。被害が無いことを祈るばかりです。
先日、お檀家さんの金鋪正明様より、地元喜連川の南和田地区に伝わる「飴屋六造」伝説についてお教えをいただきました。
幕末の話ですが、今でもお墓が残されているとのことで、Googleストリートビューの写真画像をお送りくださいました。
この飴屋六造伝説については、『喜連川のむかしばなし』(平成5年刊)にも「柳茶屋と飴六」として掲載されています。
この本は「和い話い広場」で購入できるそうです。
(あらすじ)
幕末の話。飴を売り歩く六造という男(飴六)が、南和田に現れ、美男であったために地元の女性を虜にしてしまったとのこと。村の男たちは飴六を妬み、ある夜更けに袋だたきにして殺害してしまったそうです。
それからというもの村では争い事が絶えなくなりました。飴六の祟りを恐れるようになった村人は、墓石を建てて霊を弔います。すると、以前のような平和な日々が戻ってきたのでした。
この昔話を読んでみて、私も実際にお墓を訪れてみました。
お寺からは、車で数分の所でした。
先ほどの『喜連川のむかしばなし』に載せられている写真と比べると、ずいぶんと墓石が埋もれてしまっているようですね。
右端は馬頭観音。
左端が飴屋六造の墓です。
「飴屋六造」と見えます。
脇には「慶応二年十月」(1866年)と刻まれていました。
ここは旧奥州街道沿いです。
道はうっそうとしています。
最近は野犬が出没しているようなので要注意です。
反対側です。
この先が、お教えくださった金鋪さんのご実家です。飴屋六造の墓は、本来はここから100メートル程北側に単独で祀られていたようですが、地元の方が不憫に思い、馬頭観音と一緒の場所に移動したそうです。
墓を建ててからというもの、南和田地区には穏やかな日々が訪れたそうですが、金鋪さん曰く「機会があれば御供養してほしい」とのことでしたので、目の前でお唱えして参りました。「南和田」「曽根田」地区の安寧を心よりお祈りいたします。
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最後までお読みくださりありがとうございました。