坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

弘法大師空海のお話② ~ 真っ直ぐな求道心、真言密教の道へ ~ 「法の水茎」123


お彼岸の一週間を迎えています。
明日はお彼岸の中日。私もお墓参りをして、ご先祖様に思いを馳せたいと思います。

石段沿いの彼岸花。


どんなに異常気象が続いても、草花は季節を違えることがありませんね。
まるで、お参りの方をお迎えしているかのようです。

今月の「法の水茎」も「弘法大師空海のお話」です。若き日のお大師さまの、真言密教を究めたいという真っ直ぐな思いを噛みしめてみました。お読みいただけましたら幸いです。

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「法の水茎」123(2022年9月号)

 

 今年の9月1日は「二百十日(にひゃくとおか)」。立春から数えて、ちょうど210日目です。田んぼの稲穂が黄金色に色づき収穫が待ち遠しい頃でもありますが、この時期は日本列島に台風が接近して、大きな被害をもたらすこともよくあります。風が荒れないように祈る「風祭(かざまつり)」という農耕儀礼も全国で行われますが、農作物への影響がないことを祈りつつ、穏やかで豊かな実りの秋を待ち望みます。

  野分する野辺のけしきを見る時は

   心なき人あらじとぞ思ふ

       (『千載集』藤原季通)

(強風が草木を揺さぶる野辺の様子を眺めるときは、心に響くものがあって、何も情趣を感じない人はいないだろうと思うよ)

 二百十日・二百二十日(今年は9月11日)前後に吹く暴風を「野分(のわき)」と呼びます。野の草を強く吹き分ける風は、空に走り飛んで雲をちぎり(野分雲)、水の上を進んで荒れた波を引き起こします(野分波)。そうしたビュウビュウと吹きすさぶ風の音は、やがて自身の心の中をも揺さぶってくるのでしょうか。『枕草子』189段には「野分のまたの日こそ、いみじうあはれにをかしけれ」(野分の吹いた翌日こそ、とても趣があって面白い)として、嵐が過ぎ去った後の目新しさが語られています。風によって研ぎ澄まされた心の鏡は、今まで気づかなかった光景を映してくれるのかもしれません。

 9月も下旬になれば、秋のお彼岸が巡ってきます。秋分の日を中心とした一週間(今年は20日から26日)は、日頃はなかなか身近に感じられないご先祖さまを想い、お墓参りをして手を合わせます。

  生死の二つの海を厭(いと)はしみ

   潮干の山を偲ひつるかも

     (『万葉集』よみ人しらず)

(生と死の二つの海から遠ざかりたいので、潮の満ち引きのない山を思い慕うよ)

 この歌にある「生死の二つの海」は、仏教語「苦海」を表したもので、生まれてから死ぬまでの間に、たくさんの苦悩が海のように続いている人間世界をたとえています。こうした私たちが生きているこの世は「此岸(しがん)」(こちらの岸)と言われています。

 それに対して「潮干の山」は、潮の満ち引きの影響が及ばない山の意味から、生死を超越した悟りの世界を表しており、ご先祖さまがいらっしゃる「彼岸(ひがん)」(あちらの岸)を指しています。

 お彼岸の時期は、少しだけ干潟の先へと思いを馳せてみてはいかがでしょうか。彼岸の山からこの世の海を眺めれば、野分の次の日のように、これまでとは違った輝く命のさざ波が見渡せるかもしれません。

 さて、こうした生死の苦海を渡られた方の中に、真言宗を開かれた弘法大師空海(774~835)がいらっしゃいます。先月号では『今昔物語集』の空海伝から、幼少期から「神童(しんどう)」と呼ばれ、さまざまな書物(漢籍)に親しまれていたお姿を垣間見ました。その後は次のように続きます。

 18歳になった時、この子は心に決めました。「私がこれまで学んできた俗典(仏教以外の書籍)には何の益もない。一生が終わってみれば、きっとむなしいものだ。これからは仏の道を学ぼう」と。

 そこで、さまざまな地をめぐり歩いて苦行を修し、奇瑞(きずい)をあらわしました。阿波国(今の徳島県)にある大滝嶽で虚空蔵(こくうぞう)の法を行うと、大きな剣が飛んできました。土佐国(今の高知県)の室生門崎(室戸岬)で求聞持(ぐもんじ)の行を観念していると、明星(金星)が口に入りました。またある時は、伊豆国(現在の静岡県伊豆半島と東京都伊豆諸島)の桂谷の山寺(修善寺)で空に向かって『大般若経』の「魔事品(まじぼん)」を書くと、経文の文字が虚空にはっきりと現れたのでした。

 延暦12年(793)、二十歳の時に髪を剃り十戒(十条の戒律)を授けられ「教海」と名乗ります。その後、自ら名を改めて「如空」とし、さらに延暦14年(795)、22歳の時に東大寺の戒壇で具足戒(ぐそくかい)(僧侶が守るべき戒律)を受け、名を「空海」と改めたのでした。

       (『今昔物語集』など)

 あらゆる書物に目を通した空海は、いよいよ山林修行の仏の道へと分け入りました。虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)という記憶力を増大するための修法を究めながら、数多の不思議な現象を目の当たりにしています。室戸岬での、

  谷響きを惜しまず、

  明星来影す。

      (空海『三教指帰』)

(谷がこだまを返すように、(虚空蔵菩薩の)明星がお姿を現してくれた)

という名言も、苦行の先の深い境地から紡ぎ出されたものでしょう。

 名前を「教海」から「如空」、そしてその両方を併せ持った「空海」と改めて仏門に入った時、仏様の御前で次のような言葉を口にしました。

  我れ速疾に

  仏になるべき

  教を知らむ。

      (『今昔物語集』)

(私は速やかに仏になることのできる教えを知りたいのです)

 真っ直ぐな求道心(ぐどうしん)を打ち明けた、若き日のお大師さま。生涯にわたって駆け抜けた真言密教の道の先には、この願いが叶えられた世界が、果てしなく広がっているのでしょう。


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最後までお読みくださりありがとうございました。