坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

薬師堂をお掃除しました


境内にある大きなキンモクセイ。


遠くまで良い香りを放っています。
柿や栗も実って、収穫の秋の到来です。

お寺の池の上には、薬師堂というお堂があります。久しぶりに晴れたので堂内のお掃除をしました。

薬師堂は、一昨年に半鐘を調査していただきました。
過去記事です。

www.mizu-kuki.work


また、ハクビシンの住処となっていたため、屋根や外廊下を修理しました。
過去記事です。

www.mizu-kuki.work


薬師堂の起源は、普濟寺が建立された永禄2年(1559)をさかのぼる、天文元年(1532)4月8日の創建と伝えられます。金枝城の守りとして城の東側に建てられました。

こちらが堂内です。


今は護摩を行っていません。整えればできるのかもしれませんね。

壇の両脇には十二神将。


数十年前に修復していただきました。


ただ、思いのほか鮮やかになってしまって、1700年代作のものですが、年号を記した箇所も上塗りされてしまいました。戻ってきたお姿に、先代も嘆いていました。

堂内の鐘(磬子)や木魚には、歴代住職の名が刻んであります。

鐘には、このようにも刻まれています。


菊の御紋のようにも見えますが、どのような素性のものなのでしょうか。

(追記)
さっそくお教えいただきました。

「第四回内国勧業博覧会」(平安遷都千百年記念)の「褒状」で皇室の菊の御紋。第四回内国勧業博覧会は、明治28年(1895)に京都で開催されたようです。現在の本堂が再建(天保7年(1836))されてから、約60年後に求めたものだったのですね。「登録商標 西京 源龍」とあるので京仏具と分かりました。


また木魚には、経緯もありました。


「昭和八年二月十一日/本堂屋根替並庫裏改築記念/埼玉県川口町錫杖寺ヨリ寄附」

元々は本堂にあったものなのですね。昭和8年(1933年)に、歴代住職と関わりの深かった錫杖寺さまより御寄付いただいたもののようです。

こちらが御本尊・薬師如来さまです。


これからも、山門・国土・地域の安寧を御守りください。
薬師如来を念ずるときのご真言「おんころころ‐せんだり‐まとうぎそわか


     ※      ※

最後までお読みくださりありがとうございました。