今にも降り出しそうな梅雨空です。
まるで雨宿りをしているかのようです。
さて、お寺が所属している真言宗智山派には「智山勧学会」という学術団体があります。
設立の趣意は、以下のようなものです。
智山教学大会や弁論大会等を通じ若手研究者が仏教学研究の第一人者から学び交流することを目的として立ち上げられた。
新義真言宗智山教学の興隆のみならず、諸仏教学、歴史学の各分野の研究を振興し助成する。
「日本学術研究支援協会」HPより
智山勧学会には、年1回発行される「会報」という冊子があります。1年間の活動報告などが載せられるのですが、そこに今回、運営委員として「図書紹介」を書かせていただきました(「会報」55号)。
図書紹介
大森忠行編『仏教の生活法話集』(中山書房仏書林、1996年12月)、全4冊(分売可/価格 各1153円)
仏教書を専門とする中山書房仏書林は、昭和27年(1952)に「一家そろって明るい信仰」をスローガンとして『仏教の生活』という季刊誌を創刊した。以来、一宗派に偏らない通仏教を目指した『仏教の生活』は、今日まで65年以上にわたって継続刊行されてきた。
ところが、創業70年を迎えた昨年(平成30年)10月、突如として中山書房仏書林の閉店が告げられた。それにともない、『仏教の生活』も「平成三十年秋・彼岸号」(264号)をもって最終号となり幕を閉じたのである。
ここに紹介する『仏教の生活法話集』は、『仏教の生活』創刊30年(120号)を記念して、昭和58年(1983)に出版されたものの普及版(新版)である。これまでの『仏教の生活』中に掲載された、実に121名の執筆陣による232篇の短編が、4冊(春彼岸/秋彼岸/冬お正月/夏お盆)に分冊されて収められている。全てが仏教の深い教えから紡ぎ出されたものばかりで、さながら「珠玉の法話集」そのものと言える。
私は一つ一つの文章を読み進めながら、中でも、かつて武蔵野女子大学で教鞭を執られた花山勝友師(1931~1995)の「いとし子よ浄土に遊べ―死んだ子は二度と帰ってこない、だが永遠に私たちのものだ―」と題する一篇に強く胸を打たれた。
その文章は、愛娘の二士子(ふじこ)ちゃんを亡くした際に、5歳になる姉の羽衣子(ういこ)ちゃんが発した一言から始まる。
羽衣子ちゃん「(妹の)二士子ちゃんはどこへ行っちゃったの」
花山師「のんの様のお国だよ」
羽衣子ちゃん「のんの様の国ってどんなところなの」
花山師「とてもよいところでね。きれいな花がいっぱい咲いていて、たくさんの小鳥が鳴いていて」
羽衣子ちゃん「そんなによいところなら羽衣子も行くよ、いいでしょう」
ただ羽衣子ちゃんは、しばらくしてからきっぱりと、
「でもね、羽衣子やっぱりやめる。だっておとうちゃま、おかあちゃまがこんなに悲しんでは、羽衣子行かなくてもいいよ」
と言い切ったのだった。
花山師はこの羽衣子ちゃんとの会話によって、亡くなった「二士子を絶対に親不孝にはしない。そのために私はもう悲しまない」という心境に至り着く。そこには仏教研究の碩学が、わが子を亡くした煩悶から、信仰の世界へと身をもって入っていく姿が、ありのままに語られている。
古く鎌倉時代末期から南北朝期を生き抜いた兼好法師は、その著書『徒然草』において「ひとり灯(ともしび)のもとに文(ふみ)を広(ひろ)げて、見(み)ぬ世(よ)の人(ひと)を友(とも)とするぞ、こよなう慰(なぐさ)むるわざなる」(独り灯火のもとで読書をして、遠い時代の人を友とするのは、何よりも心が安らぐ)と語った(第13段)。
本書の初版は今から35年程前に刊行されたものであり、執筆者を一覧すると、既にこの世を去られた方も多く見受けられる。しかし、決して古くさい書物ではなく、むしろ情報の海に溺れそうになる現代において、ますます輝きを放っているのではないか。序文に記されているように、手に取ることによって「仏法の大海」へと導いてくれる上質の一冊である。
なお、創刊40年を期に、中山晴夫編『仏教の生活法話集 続』(中山書房仏書林、1992年11月)も刊行されている。中山書房仏書林の方のお話によれば、両書ともまだ新本で購入可能とのことで合わせておすすめしたい。
(髙橋秀城記)
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最後までお読みくださりありがとうございました。