坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

「人道」のお話~得がたい我が身、慈しみの心も忘れないで~「法の水茎」70

まだら模様の紅ウツギです。

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ウツギ(空木)

ウツギにはいろいろな種類があります。
外からは見えませんが、幹が中空だから空木(ウツギ)と名づけられました。
卯の花・卯木(ウツギ)とも呼ばれる、初夏の風物詩です。

今回の文章は、六道の「人道」をテーマとして、私たちが住む世界について書いたものです。

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「法の水茎」70(2018年4月記)





  桜散る 木の下風は 寒からで
   空に知られぬ 雪ぞ降りける
           (『貫之集』)
(桜を散らす春風は寒くないけれど、空に知られることのない桜木の下には、花びらの雪が降っているよ)

 今年は例年よりも桜の開花が早かったようです。この「高尾山報」が届く頃には、高尾山の桜も、満開から、散り始め、桜吹雪へと季節が移ろっているかもしれません。

 冒頭の歌では、雪のような桜の花びらがハラハラと舞い散っています。「空に知られぬ」とあるように、高い空からは地上の様子が見通せないほど、満開に咲き誇っているのでしょう。

 「下風」とは「草木の下を吹き抜ける風」のことです。もしかすると地面に仰向けに寝そべりながら、薄紅色の桜の空を眺めているのでしょうか。鶯をはじめとする春鳥たちの囀りに耳を傾けながら、暖かな春風に身を任せる花びらのように、穏やかな時がゆったりと流れていきます。

 4月8日には、お釈迦様の誕生を祝う「灌仏会(かんぶつえ)」(花祭)が営まれます(高尾山薬王院では仏舎利塔(ぶっしゃりとう)において)。さまざまな春の草花を飾り付けた花御堂(はなみどう)(小さなお堂)の中で、生まれたてのお釈迦様のお姿に甘茶(あまちゃ)(香水(こうずい))を注いでお祝いします。

  世の中に 今日ぞ仏の 立ち出でて
   あらはれたまふ 水は汲みける
             (『顕輔集』)
(私たちが生きているこの世の中に、お釈迦様が今日お立ちになられた。こうして今、空から降り注ぐ甘露(かんろ)の水を汲むことの有り難さよ)

 中世の『太平記』という軍記物語には、灌仏会(かんぶつえ)の日は「信心のある者も無い者も、灌仏の水に心を浄め、花を供えて香を焚き、お経を唱えながら、悪心を捨てて善心を修める日」と記されています。お釈迦様をお慕いする香水を汲むことによって、自身の心も洗い浄められ、今までは見えなかった仏様との結び付き(因縁(いんねん))を感じる心も現れてくるのでしょう。

 思えば、こうした春の息吹を感じられるのも、お釈迦様の誕生日を毎年のようにお祝いできるのも、この世に「人」として生を享けたからに他なりません。命があるからこそ、日々の経験から、喜びや怒り、悲しみや楽しみなどの感情が生まれてくるのです。

 仏教では、私たちが住む世界を「人道(にんどう)」(人界(にんがい))と呼びます。人として生まれることができるのは「梵糸海針(ぼんしかいしん)」(天上界(梵天(ぼんてん))から垂らした糸が、海底の針の穴に通るようなもの)と喩えられ、人道に生まれることも、仏の教えに廻り合うことも、極めて稀なことと説きます。

 では、私たちは人となる前はどこに身を置いていたのでしょうか。残念ながらと言うべきか、前世での記憶は残されていません。ただ「三途(さんず)の故郷(ふるさと)」という言葉があるように、私などは六道の中でも地獄道・餓鬼道・畜生道といった三悪道に慣れ親しんでいた身かもしれません。たまたま人道に生まれたからには、仏道という新しい「道」をひたすらに歩みたいと思っています。

 これまで数多の先達(仏道修行の先輩)が、仏の道を追い求めてきました。中には、次のような話も伝わっています。

 昔、河内国若江郡の遊宜村(ゆげのむら)(今の大阪府八尾市八尾木)に、修行を積んだ尼僧(にそう)がいました。この世で受けた恩に報いるために仏像を描き、その絵に六道も描き込んで寺に安置しました。

 ところがある日、留守中にこの絵像が盜まれてしまいます。悲しみに暮れながら探しましたが見つかりません。そこで今度は、放生会(不殺生の教えを守って鳥獣や魚を放つこと)を思い立ち市場に出かけました。

 ふと見ると、樹に掛けてあった背負い籠から、いろいろな生き物の鳴き声が聞こえてきます。放生のために買って放してやろうと思い、持ち主に交渉しますが売ってくれません。猶も食い下がると、持ち主は籠を捨てて逃げてしまいました。

 さっそく籠を開けてみると、中には盜まれた仏の絵像が入っていました。尼僧は、喜び、涙を流し、泣き恋しがります。「ああ、嬉しい」と言うと、全ての生き物の幸せを心から祈ったのでした。
           (『日本霊異記』)

 尼僧さんは人として生まれ、仏の道を歩みつつ、畜生道など自然への慈しみの心も忘れませんでした。だからこそ、絵像の在処(ありか)を教えてくれたのでしょう。「思えば思わるる」と言われるように、仏様もこの世のあらゆる生き物も、尼僧さんの人生を応援しています。

 私たちは人として命を授かりました。得がたい我が身を慈しみ、心地良い春の野道を行くように、心を乱さず生きていきたいものです。


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最後までお読みくださりありがとうございました。