キショウブ(黄菖蒲)も目立ちます。
繁殖力が強いため、最近では「要注意外来生物」にも登録されているとか…拡大しすぎるのも問題のようですね。
今回の文章は、六道の「畜生道」をテーマとして、死後に畜生となって生まれ苦しむ世界について書いたものです。
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「法の水茎」68(2018年2月記)
二十四節気の暦通りに、大寒に入ってからの日本列島は、厳しい寒波に見舞われました。1月22日から降り始めた雪は、高尾山の山頂でも40センチ近くの積雪を観測しました。
雪のうちに 春は来にけり 鶯の
凍れる涙 今や解くらむ
(『古今集』二条后)
(雪が残る冬景色のまま、春がやって来た。冬の寒さに凍っていた鶯の涙も、今は解け始めて、間もなく美しい鳴き声を聞かせてくれることだろう)
季節が移り変わる「節分」を過ぎれば、暦の上では春の到来です。江戸時代の真言宗の僧侶で国学者でもあった契沖(けいちゅう)(1640~1701)は、この歌について「鶯には涙があるわけでもなく、凍るはずもないけれど、鳴くものなので涙といい、涙あれば凍るというのは歌の習いである」と評しました(『古今余材抄』)。冬の寒さにじっと耐えていた鶯も、人間と同じように春の訪れをきっと待ち望んでいたでしょう。「立春」の響きに勢いよく外面(そとも)に飛び出せば、雪景色に乱反射(らんはんしゃ)する春の眩(まばゆ)い陽光に、ちょっと戸惑うかもしれません。
今年も立春を過ぎると、初めての午の日(初午(はつうま))が巡ってきます(今年は2月7日)。この日全国の稲荷社では初午祭が行われ、高尾山薬王院においても、五色の幟(のぼり)で飾り付けられた稲荷社で「福徳稲荷祭」が執り行われます。
この初午の起源は、古く奈良時代以前に遡ると言われます。平安時代の和歌には、
ひとりのみ 我が越えなくに 稲荷山
春の霞の 立ち隠すらむ
(紀貫之『貫之集』)
(一人で稲荷山を越えるわけではないのに、春霞が立って山を隠しているので、まるで自分だけが霞の中を分け入っているような気持ちになる)
と詠われています。今は新暦の寒い時期に行われる初午ですが、もともとは旧暦2月の春先の行事でした。春のお彼岸前の農作業を始める時期に、その年の五穀豊穣や福徳を祈って、稲荷神をお祀りしたのです。やがて稲荷神は商売繁盛の神としても信仰を集め、家内安全や開運などの願いも聞き入れながら、全国各地へと広まっていきました。
初午には「午」という漢字が入っているように、動物の「馬」とも密接に結び付いています。農耕を営むにあたって、馬は重要な財産でした。日頃の感謝を込めて、この初午の日を、馬の祭日とする地方も見られます。
ところで、人間に飼育される鳥獣や虫魚の総称の一つに「畜生(ちくしょう)」という呼び方があります。「人に畜(やしな)われて生きているもの」という意味です。現代では、「こん畜生」などと人を罵るときにも使われることから、あまり聞き心地の良い響きではないかもしれません。
仏教においては、六道の一つに「畜生道(ちくしょうどう)」を説きます。畜生道は、前号まで見てきた地獄道・餓鬼道とともに三悪道(三途(さんず))と呼ばれ、この世での悪い行いの報いによって、死後に畜生となって生まれ苦しむ世界と言われています。
では、先に見た農耕馬のように、畜生でありながら家族の一員として大切にされてきたのはなぜでしょう。人の身近に暮らす馬をめぐっては、次のような話があります。
奈良時代の昔、河内国(現在の大阪府東部)に瓜(うり)を売り歩く者がいました。名を石別(いそわけ)と言いました。
男は、いつも重い荷物を馬に背負わせていました。馬が重さに耐えきれずに歩けなくなると、怒って鞭(むち)で打って、さらに酷使しました。
馬は疲れ果て、2つの眼(まなこ)から涙をこぼしましたが、瓜を売り終えると、男は無残にも馬を殺しました。こうして命を奪った馬は、数えきれないほどでした。
後の話。男は何となくお湯が煮えたぎっている釜のそばに近づきました。すると湯気によって、男の両目は忽ちにして煮られてしまったのでした。
この世での悪い行いの報いは、すぐにやって来ます。ですから、仏法の因果応報の理(苦楽の報い)を信じなければなりません。畜生は、一見すると私たち人間とは縁がないように見えますが、実は前世の自分の父母であることがあるのです。
死後の六道(地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天)という6つの迷いの世界や、四生(ししょう)(胎生(たいしょう)・卵生(らんしょう)・湿生(しつしょう)・化生(けしょう))という生き物の4つの生まれ方などは、いずれも、来世に自分が生まれる家です。だからこの世では、慈悲(じひ)の心がなくてはならないのです。
(『日本霊異記』)
この話に登場する馬が流した大粒の涙は、いったい何方(どなた)の悲涙だったのでしょう。もし前世の父母と男が知っていたならば、「お父さん」「お母さん」と語りかけながら、むしろ荷を背負っていたことでしょう。
あるいは、六道の衆生を救う馬頭観音様が姿を変えていたのかもしれません。恩知らずの男に、御身をもって「慈悲の心」を伝えてくださったようにも感じます。
すべて、
一切の有情を見て、
慈悲の心なからんは、
人倫にあらず。
(『徒然草』128段)
(全ての生き物を見て、慈しみの心を抱かないとすれば、それは人間とは言えない)
本格的な春に向かって、寒暖が交互にやって来ることを「三寒四温」と言います。寒さの後に降り出す温かな「四温の雨」は、もしかすると春霞によって解け始めた「鶯の嬉し涙」なのかもしれません。
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最後までお読みくださりありがとうございました。