雨が上がって過ごしやすい1日です。
お地蔵様も気持ちよさそうですね。
今回の文章は、六道の「餓鬼道」をテーマとして、飢えた鬼の世界について書いたものです。
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「法の水茎」67(2018年1月記)
霞立ち 木の芽もはるの 雪降れば
花なき里も 花ぞ散りける
(『古今集』紀貫之)
(初霞が棚引いて、木々の新芽もふくらむ春に雪が降るので、花がまだ咲かないこの山里にも、淡雪のような白花が散っているよ)
今年も新しい年を迎えました。この歌に見られる「はる」には、草木が芽ぐむ「張る」と季節の「春」が掛けられています。年があらたまれば、空から舞い落ちる粉雪も、桜吹雪と見紛うでしょうか。
1月は「睦月(むつき)」とも呼ばれます。語源は諸説ありますが、新年を迎えて、親類知人が往来して仲睦まじくする月だからとか(『奥義抄』)。あらためて、人と人とを結ぶ縁を感じる折節でもあるのでしょう。
ところで、こうした繋がりは、何も人間同士に限ったものではありません。お盆には精霊棚(しょうりょうだな)を作って、ご先祖様をお迎えしますが、お正月にも門松を立てるなどして、年神様をお待ちします。15日の小正月を中心として、正月の七草はお盆の七夕(七日盆)に当たるなど、両者は似通った性格を持っています。年の始めのお正月は、お盆と同じように「亡き人との睦月(むつき)」でもあるのでしょう。
そういう意味では、地方の方言に「餓鬼(がき)の首」という言い方があるそうです。少し気味悪く聞こえるかもしれませんが、「お盆や正月に仕事を休む日」を表す言葉だとか。お盆にはお寺で「施餓鬼(せがき)」という行事が行われますが、お正月にもそうした心持ちで手を合わせるのでしょう。
「餓鬼(がき)」については、以前「高尾山報」(607号)で、お釈迦様の弟子の目連尊者(もくれんそんじゃ)が、餓鬼道(がきどう)に苦しむ母を救った、施餓鬼のもととなる話を書きましたが、あらためて「餓鬼」について触れてみたいと思います。
餓鬼道は、前号で見た「地獄(じごく)」の1つ上に位置し、生前の「欲深い行い」によって堕ちる場所と言われています。わんぱくな子供に対して「悪餓鬼」とか「餓鬼大将」とか言いますが、これも、もともとは食べ物を際限なく欲しがる餓鬼の様子に似ていることから使われるようになりました。
日本において餓鬼は、古く奈良時代の『万葉集』に「男餓鬼(おがき)」「女餓鬼(めがき)」として登場し、その姿は平安時代末期の『餓鬼草紙』という絵巻に詳しく描かれています。絶えず飢えと渇きに苦しむ餓鬼は、喉がきわめて細く、お腹は山のようにふくれています。食べ物を近づけると炎となって、何も口に入れることができません。いつも飢えの苦しみに苛(さいな)まれているのです。
このように「飢えた鬼」は、地獄の門番の「鬼」とは違って弱々しい姿をしています。それは強い上にも強いことを喩える「鬼に金棒」に対して、頼りにも力にもならない「餓鬼に苧殻(おがら)」という言葉があることや、「墨は餓鬼に磨(す)らせ、筆は鬼に持たせよ」(墨をする時には柔らかく、筆を使う時には力強く書くのが良い)という言い回しが残されていることからも、その性格の違いを窺うことができるでしょう。
餓鬼道の有様については、目連尊者の話の他にも、次のようなものが伝わっています。
昔、大和国に讃岐房(さぬきぼう)という僧侶がいました。病気になって息絶えると、1日経って蘇り、このように話し始めました。
私はあの世に行き、地蔵菩薩にお目にかかった。「私はこれからどうなるのでしょうか」と伺うと、広い野原に連れて行ってくださった。
野中には、数えきれないほどの餓鬼がいた。すると、その中のある餓鬼が話しかけてきた。「この法師は、昔の我が子です。育てかわいがるために、多く悩み、貪(むさぼ)りの罪を作って、このような悲しい報いを受けました。餓鬼の習いとして、あの子を私に食べさせてください」 と言うと、地蔵菩薩は「これは似ているが別人だ」と仰り、なおも食い下がる餓鬼を振り払って、そのまま通り抜けられた。
しばらく過ぎてから、地蔵菩薩は私にこう言われた。「お前を救うために嘘をついたが、あれは実の母親だ。お前を食べたとしても、その苦しみからは抜け出せない。母親をしっかり供養して、苦しみから助け出しなさい」と言って、去っていかれたのだ。
(『沙石集』)
地蔵菩薩は、あえて母親と息子を会わせたのでしょうか。変わり果てた母の姿を目の当たりにして言葉を失った讃岐房に、地蔵菩薩は「母を救いなさい」と諭しています。餓鬼道は、他の世界と異なって、親子兄弟などの肉親が供養をすれば、救い出すことができると説いています。そのことを伝えたかったのかもしれません。
「餓鬼の目に水見えず」(餓鬼は飢えの苦しみから、傍(かたわ)らの水にも気付かない)と言いますが、母親は息子を忘れていませんでした。再び生き返り、母の追善供養(ついぜんくよう)に励んだ讃岐房は、母親とどのような再会を果たし、どのような言葉をかけたでしょう。前号の、地獄で母親と巡り会った蓮円(れんえん)のように、母の目には息子が地蔵菩薩のように映っていたことが想像されます。
一つの水を、人は水と見、
餓鬼は濃汁(のうじゅう)と見、
魚は室宅(しったく)と見、
天人は琉璃(るり)と見る。
(『沙石集』)
(同じ水を見ても、人は水と考え、餓鬼は濃汁と考え、魚は住まいと考え、天人は宝石と考える)
これは、同じものを見ても、見る側の心によって別々の考え方を抱くという「一水四見(いっすいしけん)」の教えです。新年を迎えて、雪を花と見るように、何気なく過ぎていく日常を、珠玉(しゅぎょく)の日々と噛(か)み締(し)めながら歩んでいきたいと思います。
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最後までお読みくださりありがとうございました。