坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

「身体」のお話①~「一夏」の記憶、蓮の上の露の願い~「法の水茎」26

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春は足早に過ぎ去っていきます。
この辺の桜もそろそろ見頃を過ぎるでしょう。

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花の参道

草花もだいぶ咲いてきました。
これからは草木の芽吹きも感じられます。
晩春と初夏の間へと季節は差しかかってきました。

今回の文章は、六根の「身」をテーマに、お盆の行事や身を浄めることの大切さについて書いてみたものです。


    ※      ※

「法の水茎」26(2014年8月記)



  暦の上では、8月7日に「秋」を迎えました。「暦の上では」という言いまわしが表すように、まだまだ炎天が続いていますが、7月下旬の「大暑」の次に置かれた「立秋」の頃になると、少しずつ秋の気配を感じ始めます。

  秋立つと 人は告げねど 知られけり 深山の裾の 風の景色に
                     (西行『山家集』)
(秋になったと人は知らせないけれど、私には感じられるよ。深山幽谷の麓を吹き抜ける風の様子によって)

 颯颯と吹く涼風は、自ずから次の季節を運んでくるのでしょう。ふとした瞬間に風の通り道に足を踏み入れれば、秋を告げる足音とともに、今年の夏の終わりも実感します。過ぎ去った時間は「一夏」の記憶として、心の奥に留められるのです。

 「一夏」という言葉は、仏教では「一夏(いちげ)」と呼びます。「一夏」は、旧暦4月16日から7月15日までの夏の90日間を指し、僧侶はこの期間に「夏安居」という修行に入ります。小さな虫も踏まないように一つの場所に籠って身を清め、日ごろ積み重ねた罪を反省し、神仏に許しを求めます。

  一夏の間を勤めつつ、昼夜に信心怠らず
             (『梁塵秘抄』)
(一夏の間も、いつも一心に精進する)

 夏の修行を終える7月15日(新暦8月15日)を中心として「お盆」(盂蘭盆)の行事が営まれます。その起こりは『盂蘭盆経』というお経に説かれていますが、日本の説話集には次のように見えます。

 お釈迦様のお弟子さんの一人に目連という高僧がおりました。ある時、養ってくれた両親の恩に報いようと、神通力によって父母の死後の世界を覗いてみます。

 すると母親は、なんと餓鬼道に堕ちていました。常に飢えと渇きに苦しみ、骨と皮ばかりに痩せ細っていたのです。

 目連は嘆き悲しみ、すぐさま母のもとに行きました。ご飯を盛って母に捧げますが、口に入れる前にご飯は火炎となり炭となって与えることができません。

 目連はお釈迦様に助けを求めます。するとお釈迦様は、次のように仰いました。「夏安居の終りの7月15日に、百千の美味しいものを盆に入れて、あらゆる僧侶にお供えしなさい。そうすれば、お前の母親のみならず、この世に生きている父母も、七世の父母(7代前の先祖)も、三途(地獄・餓鬼・畜生の三悪道)の苦しみから逃れることができる」と。目連はこの教えによって、母を餓鬼の苦しみから救うことができたのでした。
                          (源為憲『三宝絵』など)
 このお釈迦様の教えは、遠く日本にも伝えられ、今ではお盆の行事として根づいています。お盆の数日間は、お迎えしたご先祖様にお供え物をして、灯明を捧げ、香華を手向けて、感謝の心で手を合わせます。さまざまな飲食(百味)をお供えすることは、ご先祖様への「親孝行」であり、これまで育ててくれた親への「恩返し」にもなるのです。

 平安時代には、このような女性もいたようです。

 7月15日の盆の日のこと。亡き親に食物を供えることができないほど貧しい女性がいました。そこで、身につけていたたった1枚の薄紫色の綾の着物の表を解いて盆に載せ、その上に蓮の葉をかぶせて寺に持っていきました。女性は御本尊の御前で伏し拝み、泣く泣く帰って行きます。

 これを見た人が怪しんで近寄ってみると、蓮の葉に和歌が書き付けられていたのでした。

  奉る 蓮の上の 露ばかり 志をも 三世の仏に
(貧しい私には、蓮の上の露ほどのものしかお供えできません。三世(過去・現在・未来の三世)の仏様、どうか私の気持ちを御覧になってください)
                 (『古本説話集』など)

 歌の中の「露」には、蓮に置いた「露の雫」と「僅かばかり」という意味があります。あるいは女性の「涙」が込められているかもしれません。「蓮の上の露の願い」(極楽浄土に咲く蓮の花の上に往生したいという願い)という言葉もありますが、この女性は、親への恩に報いる気持ちなのでしょう。

 「三世の仏」には、この姿を見てほしいという「見よ」も掛けられています。少しのお供え物であっても、女性の親への強く清らかな思いは、必ずや三世の諸仏に聞き届けられたことでしょう。

  夏の終わりは「夏負け」(夏バテ)になりやすいものです。真昼の暑さから逃げたくなっても、朝夕の凉しい風に身を労りながら、ご先祖様への篤い思い(感謝の念)は持ち続けたいものです。

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最後までお読みくださりありがとうございました。