坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

「八正道」のお話~真実そのもの、対立を離れて~「法の水茎」64

全国的に猛暑の1日でした。
来月の衣更えを前にして、冬衣でのお勤めは、なかなかツライものがあります。

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黒猫

いつもの黒猫は、涼しい日陰を知っているようです。


今回の文章は、八正道のまとめとして、「「正しさ」とは何か」ということについて考えてみたものです。

 

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「法の水茎」64(2017年10月記)




 もう衣更えは済ませましたか?季節の移ろいに合わせて、僧侶の衣服も今月から冬衣の装いへと変わりました。二十四節気の「寒露」(10月8日から)を過ぎれば、朝露にも冷たさを感じ始めます。ひんやりとした朝夕の冷気の中でお経を唱えながら、身も心も少しずつ秋の気配に染まっていきます。

  僅かなる 庭の小草の 白露を
   求めて宿る 秋の夜の月
          (西行『山家集』)
(ほんの少しの小草に置いた夜露を探し求めて、そこに宿っている秋の夜の月光よ)

 秋分を過ぎると、日一日と夜が長くなっていきます。秋の夜長を感じつつ、澄んだ夜空を見上げれば、円かな月が清かに照り輝いているでしょう。辺りを見渡せば、池の水面にも、月影が映っているかもしれません。

 この歌を詠んだ西行法師(1118~1190)は、月明かりに誘われるように、庭に出て可憐な草花を探しました。近寄ってみると、小さな葉に露と月とが憩い合っていたのでしょう。それはまるで、夜露が月を逃がすまいと凍らせているかのような煌めきだったのかもしれません。月の光が、自然の隅々にまで行きわたっていることを教えてくれる歌のように感じます。

 これまで8回にわたって、「幸せに至るための8つの行い」について書きました。「正見」(正しく真実を見る)、「正思惟」(正しく考える)、「正語」(正しい言葉遣いを心がける)、「正業」(正しい振る舞いをする)、「正命」(正しい生活をする)、「正精進」(正しく励む)、「正念」(正しく真理を追い求める)、「正定」(正しく迷いのない境地に入る)の8つです。これらは仏教で「八正道(はっしょうどう)」と呼ばれ、基本的な実践法として説かれています。

 ちなみに、「正道」の対義語は「不正道」でしょうか。お経には、「不正道を捨て、永く悪見(あっけん)を除く」(『華厳経』)とか、「不正道行き過ぎれば、これ則ち放逸(ほういつ)と名づく」(『正法念処経』)などと見えます。「正道」の逆の生活を歩めば、「悪見」(誤った考え)や「放逸」(わがまま)の状態に陥ってしまうのかもしれません。では、「正しい道」とは何を指すのでしょう。

 例えば、文化庁から先日発表された「国語に関する世論調査」によれば、「(話の)さわり」や「ぞっとしない」という言い回しを、過半数が本来とは異なる意味で理解しているそうです。こうした結果に、文化庁は「時代の流れとともに本来の意味と違う使われ方が定着する場合も多い。一概に誤りだとは言えない」と語っています。

 確かに、言葉は時代とともに変化していきます。『枕草子』や『徒然草』には、当時の言葉の乱れを嘆く一節がありますが、その時代の古語を、現代の人々は日常生活で使っていません。おそらく、この「高尾山報」の私の文章も、何百年か後には古くさくて意味の分からないものとなっている可能性があります。

 そう考えれば、例えば「八正道」で説く「正語」(正しい言葉遣い)も、時代とともに移り変わっていくことになるでしょう。では、言葉とともに「正しさ」もまた、日々変化していくものなのでしょうか。

 前々号で、仏の御弟子であった周利槃特(しゅりはんどく)の話を取り上げました。物覚えが悪かった周利槃特は、一句のお経を授けられ、この言葉を信じて、毎日毎日掃除に励み、ついに悟りの境地に達することができましたが、この話には次のような続きがあります。

 お経には、「たくさんのお経を読むよりも、一句を聞いて悟る方がまさっている」とか、「いつも意(心)を正しくして、余分なことを学ぶな」と書かれています。

 正しいとは、全く邪念(横道にそれた良くない思い)がなく、無分別(区別して考えない)ということです。形あるものにとらわれるのは「邪(よこしま)」です。正念とは「無心で真実の心」です。それ以外は全て余計なことなのです。深く信じれば、悟りに近づけるでしょう。
            (『沙石集』)

 この話によれば、「正」とは「正しい」「間違っている」と言うことではなく、対立のような迷いを離れた状態のようです。その意味では、「正(ただ)しい」よりも「正(まさ)しい」(真実そのもの)という言い回しの方が相応しいかもしれません。

  道と言ふ道を正(ただ)して素直なる
  世は古(いにしえ)も今も変はらじ
        (『新明題集』実維)
(あらゆる道を改めて心が素直になる。これは永遠に変わらない)

 川面に映る満月を眺めながら、時と流れる「正(ただ)しさ」と、永久に変わらない月の「正(まさ)しさ」が、秋の景色に美しく融(と)け合っているのを感じています。

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最後までお読みくださりありがとうございました。