坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

「正業」のお話①~初夏の草花、自然の恵みに感謝~「法の水茎」59

ヒメウツギを見つけました。

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ヒメウツギ

ウツギ(空木)よりも、ほっそりとしているからヒメウツギ(姫空木・姫卯木)と名づけられたそうです。古くから親しまれてきた初夏を飾る花です。


今回の文章は、八正道の「正業(しょうごう)」をテーマに、正しい行い、清らかな生活を心がけることについて書いたものです。


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「法の水茎」59(2017年5月記)





 爽やかな季節が巡ってきました。清々しい陽気に誘われて散歩をすれば、道端には藤に山吹、躑躅に卯の花といった日本古来より親しまれた草花が咲き揃っています。初々しい新緑を背景に、赤や黄色、藍がかった紫色などに着飾る姿は、まるで初夏の訪れを楽しんでいるかのようです。

  時わかず 降れる雪かと 見るまでに
   垣根もたわに 咲ける卯の花
           (『後撰集』不知)
(時期を知らずに降った雪かと見えるほど、垣根も撓(たわ)むほどに咲いている卯の花よ)

 旧暦の4月は「卯月(うづき)」と呼ばれます。由来は、卯の花が咲く「卯の花月」を略したとも、稲の苗を植える「植月(うえつき)」から変化したとも言われます。卯の花の少し青みを帯びた白花は、桜の春を飛び越えて、冬の雪景色の美しさを思い起こさせるものでもあるのでしょう。

 卯の花は、夏の景物として『万葉集』の時代から親しまれてきました。

  五月山 卯の花月夜 ほととぎす
   聞けども飽かず また鳴かぬかも
            (『万葉集』)
(5月の山の、卯の花が咲いている月夜の晩に、時鳥(ほととぎす)の鳴く音を聞いていると飽きることがない。何度でも鳴いてほしいよ)

 月光に照らされた卯の花は、さぞかし幻想的な姿でしょう。卯の花と取り合わされる「時鳥」は、夏を告げる渡り鳥として「卯月鳥」「魂迎鳥(たまむかえどり)」「死出田長(しでのたおさ)」などの異名を持ち、死出の山(冥土)を往来する鳥とも言われます。ご先祖様からの手紙を携えて、飛び来たったのでしょうか。月光によって照らされる卯の花が、まるで道案内をしているかのようです。

 ところで「卯月八日」という年中行事をご存じでしょうか。この日(4月8日)、全国の寺々ではお釈迦様の誕生を祝う「降誕会(ごうたんえ)」(仏生会(ぶっしょうえ))が営まれますが、それとは別に、日本では古くから旧暦4月8日(今年は5月3日)に、野山に草花を摘みに行く風習がありました。

 「卯月八日」に山に分け入り、卯の花や躑躅、藤や石楠花などを採って里に持ち帰ります。そして、花を竹竿の先に束ねると庭先に高く掲げました。それは、山の神が田の神となって里に降り立ったことを意味し、神の守護によって、田植えを始める時期でもあったのです。

 また、神様はご先祖様の霊(祖霊)とも考えられていたことから、お墓参りをして花をお供えする地方もありました。やがて「卯月八日」の風習は仏教と結びつき、花を飾ってお祝いする「降誕会」が「花祭」と呼ばれるようにもなったそうです(和歌森太郎「春山入り」等参照)。

 このように、この季節の草花には、ご先祖様が宿っていると考えられていました。この5月は、お盆やお彼岸のように神仏をお迎えし、身を浄め、自然の恵みに感謝する折節でもあるのです。

 ちなみに、「花祭」では可愛らしい誕生仏に甘茶を注ぎますが、参拝者はその甘茶を持ち帰り、それで墨を擦って、

  千早振る 卯月八日は 吉日よ
   紙下虫(かみさげむし)を 成敗(せいばい)ぞする

という和歌を書くことも行われていました。どうやら、これを書いた紙をトイレなどに逆さに貼っておくと、害虫が来なくなるという虫除けの俗信のようです。「「卯月八日」は神様をお迎えする良い日柄なので、いつも悪さをしている「紙下虫」を懲らしめよう」というのでしょう。「卯月」に「憂し」(嫌だ)、「紙」に「神様」の意が掛けられているかもしれません。いずれにしても昔の人々の洒落が効いています。

 「卯の花」をめぐっては、次のような面白話もあります。

 室町時代末期のお話。宗祇(そうぎ)(1421~1502)という有名な連歌師がいました。ある時、京都嵯峨野の小さな草庵に立ち寄ってみると、庭に見事な卯の花が咲き誇っていました。

 その草庵には、鼻が高い僧侶が住んでいました。宗祇はその様子を見ると、一句を短冊に書き記し、卯の花の枝に結びつけました。

  さかばうの はなにきてなけ ほととぎす

さて、宗祇が帰ろうとすると、僧侶が「この句を聞かせてください」と言って呼び止めます。そこで宗祇が、

  咲かば卯の 花に来て鳴け 時鳥(ほととぎす)

と読み上げると、僧侶は安心した表情を見せました。理由を尋ねると、「私の鼻は高いので、

  嵯峨坊(さがぼう)の 鼻に来て鳴け 時鳥(ほととぎす)

と聞こえて、気に入らなく思ったのです」と話すのでした。
                (『塵塚物語』)

 僧侶は、日頃から自分の容姿を気にしていたのでしょう。せっかくの卯の花の句も、違って聞こえてしまったようです。あるいは宗祇は、実は僧侶が思っていたように詠んだのかもしれません。戯れが過ぎたと思って、慌てて言い訳の句を詠んで逃げたとも考えられるでしょう。

  いたいけや うむ卯の花の 雪仏 
              (松永貞徳)

 人は考えようによって、さまざまな見方ができるものです。「卯の花月夜」に照らされる初夏の花は、もしかすると雪の下に佇む野辺のお地蔵様かもしれません。

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最後までお読みくださりありがとうございました。