百合の花をおあげいただきました。
十一面観音菩薩様もお花に囲まれて、静かに微笑まれています。
今月の『高尾山報』「法の水茎」も「道」がテーマです。とこしえの教えを求めて、居心地の良い宮殿をから外に出た、お釈迦様のいとこの出家話について書いてみました。お読みいただけますと幸いです。
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「法の水茎」108(2021年6月号)
今年は例年よりも早く、雨の時節を迎えました。私が住まうお寺にも睡蓮やバラ、紫陽花や花菖蒲など、雨の似合う草花が庭を彩っています。まるで梅雨の時期を楽しんでいるかのようです。
五月雨に物思ひをれば郭公
夜深く鳴きていづち行くらむ
(『古今集』紀友則)
(五月雨を聞きながら物思いに耽っていると、時鳥(ほととぎす)が夜更けに鳴いた。雨の中を、どこに飛んで行くのだろう)
雨音の中で耳を澄ませば、元気な鳥たちの声も響き渡っています。田植えを終えた山里に時鳥が鳴き、それに負けじと鶯も囀っています。季節の変わり目に、春と夏との歌声の競演です。
この「五月雨に」の歌では、雨夜に鳴いた時鳥の声にハッと胸をつかれています。時鳥もまた短夜に心乱れていたのでしょうか。
千峰の鳥路は
梅雨を含めり
五月の蝉声は
麦秋を送る
(『千載佳句』李嘉祐)
(多くの峰を結ぶ鳥の通い路には、梅雨の雨を含んだ雲が垂れ込め、旧暦5月に鳴き出した蝉の声は、麦秋の初夏が過ぎ去ったことを教えてくれる)
「麦秋」は、麦の実り熟する時季を表すとともに、旧暦4月の異称でもあります。やがて蝉の初鳴きが聞こえてくれば、梅雨明けも間近でしょう。鳥たちは悠々と梅雨空を羽ばたきながら、「走り梅雨」(梅雨入り前)から「送り梅雨」(梅雨明け前)までの季節の変化を、上空から見届けているのかもしれません。
日本には春夏秋冬の四季はもちろん、梅雨などの季節の重なりが見られますが、遠くインドに目を移せば、大きく暑季・雨季・乾季の3つの季節に区分されるそうです。それは「三際時(さんさいじ)」(三時)とも呼ばれ、熱際時(正月16日から5月15日)・雨際時(5月16日から9月15日)・寒際時(9月16日から正月15日)に分けられます。
三時を踏まえた「三時殿(さんじでん)」という言葉があります。それは3つの季節(熱時・雨時・寒時)を快適に過ごせる3種類の建物を意味し、遙か昔、お釈迦さまの父浄飯王(じょうぼんおう)が、悉達太子(しったたいし)(出家前のお釈迦さま)のために造ったと伝わっています(『仏本行集経』)。至れり尽くせりの親心ですが、お釈迦さまはその宮殿に安住することなく出家(家を出て仏道修行すること)の道を歩まれました。
『今昔物語集』には、三時殿から外に出た、お釈迦様のいとこの出家話も語られています。
今は昔。お釈迦さまのいとこに阿那律(あなりつ)という者がいました。母親は阿那律を愛し、何不自由のない三時殿を造って阿那律に与え、多くの侍女たちと楽しい生活を送らせていました。
そんなある日、阿那律は母親に「出家をしたい」と願い出ます。しかし母親は、子供かわいさに許しません。そこで、阿那律はいとこの跋提(ぼだい)を誘って繰り返し願い求めました。最後はとうとう息子の熱意に押されて出家を受け入れました。
いよいよ出家当日。釈迦族の8人と、そこに理髪師として仕えていた優婆離(うばり)という者が、象や馬に乗って都を出発しました。国境を越えたとき、美しい衣服を脱いで優婆離に手渡し、「今後は、これらの宝物で生計を立てなさい」と言って別れます。
優波離は一人考えました。そして「私も出家したい」と決意すると再び後を追いかけ、皆で仏のもとに辿り着きました。すると、お釈迦様は言いました。「8人の者には驕慢(きょうまん)の心がある。だが優婆離だけには、それがないのだ」と。優婆離は、誰よりも先に戒を受け、上座(長老)になったと伝えています。
(『今昔物語集』巻一)
阿那律は、豪華な三時殿を飛び出し、心の平安を求めて出家をしました。それは素晴らしい行いでしたが、どこかに驕慢(人を見くだす心)が残っていたことを、お釈迦様は見逃しませんでした。使用人として雇われながらも道心(仏を信じる心)を持ち、世財(せざい)(この一生での富)よりも聖財(しょうざい)(とこしえの教え)を選んだ優婆離の行動を評価したのです。
藁屋の雨と仏法とは
出て聞け
(『譬喩尽』)
(藁屋(わらや)に降る雨の音も仏さまの教えも、家の中では聞こえない。外に出て聞くのがよい)
梅雨の時期は、心も身体も引きこもりがちになってしまうものです。出家とまではいかなくても、外で自然を感じてみませんか。五月雨の音や香りでしっとりと心を潤しながら、夏の太陽のお顔を待ち望みたいと思います。
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最後までお読みくださりありがとうございました。