坊さんブログ、水茎の跡。

小さな寺院の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。普濟寺(普済寺/栃木県さくら市)住職。

「不悪口」のお話①~心の重荷を消し去る、落謝~「法の水茎」51

ハナニラの花もキレイです。

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ハナニラ(花韮)

原産地はアルゼンチン。明治時代に観賞用として導入されたそうです。
花の色は青の他にも白や薄紫、ピンクなど、いろいろ楽しめるのが良いですね。

今回の文章は、十善戒の「不悪口(ふあっく)」をテーマに、言葉が悪意に引きずられることについて書いたものです。
 
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「法の水茎」51(2016年9月記)




  見る人に 物のあはれを 知らすれば
   月やこの世の 鏡なるらむ
           (『風雅集』崇徳院)
(眺める人に、しっとりと落ち着いた心を教えてくれる、月はこの世の鏡なのだろうか)

 陰暦8月15日の夜は「仲秋の名月」「十五夜」です(今年は9月15日)。秋の収穫に感謝して、月見団子をこしらえ、ススキの穂や里芋・栗などの旬の物をお供えします。

 歌の中にある「この世の鏡」とは、人が生きていく上での手本や模範を意味します。自らの日々の行いを、玲瓏と輝く月に映すようにして省みたいものです。

 ちなみに十五夜の次の日の夜を「十六夜(いざよい)」と呼び、十六夜と言えば、「十六夜(いざよう)空や人の世の中」という諺もあります(『譬喩尽)』)。「人の心の移り変わりの早さ」を表すこの言葉は、人間の心の頼みがたさ・不確かさを語っています。

 これまで、人が日常生活で戒めるべき行いについて書いてきましたが、言葉による「悪口」もその一つです。好かれる人の条件として、「悪口を言わない人」というのがありますが、古今東西そのような人が好かれる人の条件になることは、いつの世もどこであっても「悪口」を言う人がいるからに他なりません。分かっていながらも容易に克服できないものなのでしょう。面と向かって「悪態」をついたり、相手の見えないところで「陰口」をたたいたり、インターネット上で悪口を書き込むなど「口撃」の種類も様々です。

 仏教では「人を悪し様に罵ること」を「悪口(あっく)」として戒めています(不悪口(ふあっく))。「善様(よざま)」の対義語である「悪様(あしざま)」には、「悪意を込めながら、実際よりも悪く言う」という意味合いがありますが、言葉が悪意に引きずられ、感情を抑えることなく過大に言い合えば、いつまでも争いが尽きることはありません。鎌倉時代の法令である『御成敗式目』第12条では、「闘殺(とうさつ)の基は悪口(あっこう)より起る」(争い殺す原因は悪口にある)として悪口を禁止しており、重い悪口を犯した者は流罪に処し、軽い悪口の場合でも身柄を拘束したのでした。それでも今日まで悪口が絶えないのは、やはり人間の悲しい性なのでしょうか。

 はるか昔の話。近江国(今の滋賀県)の三井寺(園城寺)というお寺に、学問にすぐれた、若い友達同士の僧侶がいました。ある時、些細なことから喧嘩が始まると、一方がみっともなくなるほど相手を罵りました。

 悪口を言われた方は、深く思い詰めます。どうしても許すことができずに、好機を狙って待ち伏せをし、太刀(刀)を抜いて走り掛かったのでした。

 すると、悪口を放った僧は少しも騷ぐことなく笑顔になって、「これはどうしたのか」と聞きます。「先日、私に罵詈雑言を浴びせたことを覚えているはずだぞ」と言ってさらに駆け寄ると、「あなたは学識のある僧侶だと思っていたのに残念だ。あのことは、その場でもう済んだことではないか。今さら何を恨んでいるのか」と語ります。その言葉を聞くや否や、「なるほど、あなたを恨むことはないのだ」と太刀を収め、一緒に連れ立って出かけたのでした。

 この世の中は、一瞬も休むことなく、生まれたり滅んだりしているという道理(正しい筋道)を、深く学んで信じていたからこそ、恨みの心が消えたのです。これは仏法の御利益であり、喜ばしいことです。
              (『沙石集』)

 この話の中で、悪口を言った僧侶は相手に対して、「新たなものが生まれると、同時に過去のものは滅び去って行く」という「落謝(らくしゃ)」の教えを説きました。相手を誹謗したのは問題ですが、仏様の教えを、日常生活の中で活かしていくことの大切さを伝えています。

 人は感情を持ち続ける以上、時に誰かと衝突することもあるでしょう。恨む気持ちも、日に日に積み重なってしまうかもしれません。そんな時、この世の全ては僅かの間も留まらないと観じることは、もしかすると心の重荷を消し去る助けとなるかもしれません。

  念々に落謝して、
  昔の物今これなし。
         (『雑談集』)
(一瞬一瞬に未来からやって来ては過去に消え去り、昔のものは何一つ今に残らない)

 夜空に浮かぶ月も、遙か昔から留まることなく満ち欠けを繰り返してきました。たとえ今は真っ暗闇の新月としても、いつかは円かな満月の光が、私たちを包んでくれるでしょう。年に1度の名月が、今年も清かに照り輝いています。

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最後までお読みくださりありがとうございました。