お花もキレイですが、あざやかな新緑にも目が留まります。
濃淡の緑が折り重なるように見える山並みは、この時期ならではの若々しい光景です。
今回の文章は、四苦八苦の「死苦」をテーマに、この世の輝きに目を向けることについて書いたものです。
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「法の水茎」40(2015年10月記)
心なき 身にもあはれは 知られけり
鴫立つ沢の 秋の夕暮れ
(西行『山家集』)
(風流を解さない私にも、しみじみと心に沁みてくるよ。鴫が飛び立つ秋の夕暮れを見ていると)
日に日に秋の気配が感じられるようになってきました。山からは紅葉の便りが届きはじめ、高い空には、鴫や雁などの渡り鳥が飛び交っています。地上では栗などの果実が実って、秋花(あきしくのはな)とも呼ばれる菊が咲き、コオロギなどの秋の虫も盛んに歌を奏でています。
「秋の日は釣瓶(つるべ)落し」という言葉があります。近ごろは見ることも少なくなりましたが、井戸の水を汲み上げる桶(釣瓶)は、真っ直ぐに井戸に落すことから、秋の夕陽の沈む早さに喩えられました。
冒頭の「心なき」の歌では、夕暮れの一瞬が切り取られています。暮色に染め上げられた茜色の光景は、いつしか鴫の羽音とともに夕闇へと包まれたのでしょう。
夜になれば、空には皓々と月が照り輝きます。
雲消えし 秋の半ばの 空よりも
月は今宵ぞ 名に負へりける
(西行『山家集』)
(雲一つない仲秋の十五夜よりも、今宵の九月十三夜のほうが名月にふさわしいよ)
秋には2つの月夜が愛でられます。名月として名高い中国伝来の陰暦8月「十五夜」と、日本で始まった9月「十三夜」です。満月の十五夜に対して、少し月が欠けた十三夜は「後の月」と呼ばれ、収穫した栗や豆をお供えします。
今年の十三夜は、10月25日です。前日の24日は、二十四節気の「霜降」に当たり、山野の木々も艶やかに色づいてくる頃でしょう。少しずつ冬の足音も聞こえてきます。十五夜に比べて十三夜は晴れやすいと言われますが、冴えわたる空気の中で、今年の月はどのような表情を見せてくれるでしょうか。
これまで何回かにわたって「生・老・病・死」という人生の4つの苦しみを考えてみました。日々の経験から「老い」と「病」は身近に感じられますが、すでに経験済みの「生」と、これから訪れるであろう「死」については、どこか遠くに置いてしまっているような気がします。
弘法大師空海(774~835)は、「生死」と「暗闇」をめぐって、次のような言葉を残しました。
生まれ生まれ、生まれ生まれて、
生の始めに暗く、
死に死に、死に死んで、
死の終りに冥し。
(空海『秘蔵宝鑰』)
ここでは「生」と「死」が5回も重ねられています。口に出してみると、その繰り返しのリズムから、どこか不思議で神秘的な感じも漂います。
「生」は「暗」く、「死」は「冥」いものと空海は説きました。遥かに生を遡っても、また逆に死を尋ねても、結局は答え(光)を見出せない「暗闇」が待っているのでしょうか。ちなみに、「暗」の字はもともと「形がみえず、音のみ聞こえる」状態を指し、「冥」は「死者の面を覆う巾」を表しています(『字通』による)。同じ暗がりでも、何となく違いを心に思い浮かべることができそうです。
では、私たちが今生きている世界も暗いのでしょうか。大正大学名誉教授の福田亮成先生は、この空海の言葉について「今生きている生命こそ、明るく見える。責任を持つべきものと云っているのではないでしょうか」と説かれています(『空海「秘蔵宝鑰」をよむ』)。「生」と「死」の闇に押しつぶされそうになっても、この世の輝きに目を向けることによって、光(答え)を探し当てることができることを教えてくれているように感じるのです。
鎌倉時代の頼瑜(らいゆ)僧正(1226~1304)は、九月十三夜の月を前にして一人座りました。そして、
一千氷ヲ敷ク 十三ノ夕ベ
煩悩雲消ス 観念ノ宵
(一千里の土地に氷を敷き詰めたように煌めいている、十三夜の夕べ。悩み事が全て消え失せる、心静かに思い巡らす宵に)
という『和漢朗詠集』を踏まえた漢詩を作り、合わせて和歌も詠じました。
一人居て 雲井の月を 眺むれば
心のうちぞ 晴れまさりける
(頼瑜『真俗雑記』)
(独り満月の前に座って、空の彼方にある月を見遣っていると、心の中の雲や霧が晴れて行くことよ)
頼瑜は、闇夜に輝く月を頼りに、心の中もきれいに研ぎ澄ませていました。実際の月を眺め(詠め)ながら「心の月」を冷静に見つめていたのです。
月は、苦しみを取り除いてくれます。「秋の夜長」に心を洗い清めれば、昼間の自然の秋色も、いっそう明るく色づいて見えてくることでしょう。
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最後までお読みくださりありがとうございました。