明日の大施餓鬼会では、昭和初期の月待の掛軸も掛けようと思っています。
月待
月の出を待って拝む行事。多くは講の形で行なわれ、当日は当番の家に仲間が集まり、念仏をとなえたり、飲食したりしながら語りあう。毎月の行事であるが、正月・五月・九月に限る所もあり、地域によって行なわれる月が異なる。のちには酒宴遊興的なものとなる。十三夜待、十五夜待、十九夜待、二十三夜待などがある。
『日本国語大辞典』「月待」の項
これは、昭和6年(1931)に製作された十九夜講中の掛軸です。
如意輪観音様でしょうか...まだ作者名が判読できずにいます。どなたでしょう。
こちらは昭和22年(1947)に、先ほどの掛軸を手本として再製したものです。
普濟寺第27世が描いたものです。絵も堪能だったのですね。感心しました。
裏面には、20名ほどの女性の名が記されています。女人講中です。安産などを祈願したのかもしれません。
二十三夜講中の掛軸が2幅あります。
刷り物で「延生地蔵尊」(天台宗延生山城興寺、現在の栃木県芳賀郡芳賀町大字下延生1641番地)のお地蔵様のお姿です。
昭和22年(1947)と昭和31年(1956)のもので、それぞれ裏面には近隣の20名ほどの女性の名が記されています。
普濟寺近く地域(南和田地区)には、延生のお地蔵様の姉妹と言われるお地蔵様が祀られている地蔵堂があります。普濟寺の二十三夜講中もその関係なのでしょうか。
地元でも分からないことがいろいろありますね。いずれ調べてみたいと思っています。
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