木陰に八重の桔梗が咲いていました。
珍しいですね。
お地蔵様の前には豪華な花が咲いています。
辺りに芳香を漂わせています。
毎年同じ場所に花を咲かせるヤマユリ。自然の力強さを感じます。
さて、今月の『高尾山報』「法の水茎」も弘法大師空海をめぐるお話です。日本の東の最果て津軽とお大師さまとの結びつきについて書いてみました。お読みいただけましたら幸いです。
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「法の水茎」145(2024年7月号)
今年の関東地方の梅雨入りは、例年よりも2週間ほど遅かったそうです。人間には鬱陶しくも感じられる日々ですが、山の木々や草花にとっては待ち望んでいた時節の到来でしょう。恵みの雨を全身に受けて、緑色もいっそう深みを増してきました。力強く成長している姿に、みずみずしい命のきらめきを感じます。
「雷が鳴れば梅雨が明ける」という諺があります。天正11年(1583)5月18日の日記に「今日雷なる、つゆあかると見たり」(『多聞院日記』)と記されているように、梅雨空に鳴り響く雷鳴は、古くから梅雨明け間近の合図と考えられていたようです。それは本格的な夏の訪れを告げる足音のように聞こえていたのかもしれません。
垂れ込めていた雨雲が去ると、明るい太陽の陽射しとともに元気な蝉の声も聞こえてくるでしょう。梅雨時期に生い育った夏の草花も一気に見頃を迎えます。
はちす葉の濁りに染まぬ心もて
なにかは露を珠とあざむく
(『古今集』僧正遍昭)
(蓮の葉は泥の中で育っても濁りに染まらない清らかな心を持っているのに、どうして葉の上の露を珠玉であるかのように惑わせるのだろうか)
蓮は泥の中にあっても茎を伸ばし続け、やがて空に向かって美しい花を咲かせます。それは「泥の中の蓮」と言われるように、汚れに染まらない清らかな花として、古来から多くの人々を魅了してきました。
この「はちす葉の」の歌では、蓮の葉の上に置く露の輝き(「露の白玉」)が詠われています。「蓮(はちす)の上の露の願い」(願わくば極楽浄土の蓮の花の上に往生したい)という言い回しもありますが、仏さまをいつも身近に感じていた僧正遍昭だからこそ、露が宝石のように映っていたのかもしれません。
植ゑおきし心のはちす開けなん
願ふ涙をうるほひにして
(源俊頼『散木奇歌集』)
(植えておいた蓮のような清浄な心の花が開いたよ。仏さまのご加護に感謝する恵みの涙を潤いにして)
仏教では、人が生まれながらにして持っている清らかな心を「心(こころ)の蓮(はちす)」と言います。長雨の季節は過ぎ去っても、仏さまを願う心の潤いは枯らすことなく保ち続けることができればと思います。
さて今月号では、日本の東の境界から、特に現在の青森県に伝わる弘法大師空海(774~835)伝承について書いてみたいと思います。
青森県唯一の官撰地誌である『新撰陸奥国誌』(明治9年〔1876〕)を見ると、例えば青森県東部にかつてあった道仏村(どうぶつむら)(今の階上町(はしかみちょう)道仏(どうぶつ))の名前の由来について、次のように書かれています。
昔、弘法大師が衆生結縁(生きとし生けるもの全てと仏法の縁を結ぶこと)のために諸国を旅していたときのこと。都から遠く離れたこの村に立ち寄ると、民を思いやって阿弥陀如来の像を手ずから彫り刻みました。
そして、お大師さまは神仏の功徳をお説きになり、さらには人と人との結びつきの大切さを語られました。その親身になって教え諭してくださった言葉と、道のほとりに仏さまを安置してくださったご縁によって道仏村と名付けられたのです。
(『新撰陸奥国誌』)
また津軽地方に目を移せば、大鰐町(おおわにまち)と平川市(ひらかわし)碇ヶ関(いかりがせき)の境に聳える阿闍羅山(あじゃらやま)にも、お大師さまをめぐるお話が伝わっています。
弘仁年中(810~824)のこと。お大師さまは遠くこの地に来って阿闍羅山をお参りしました。霊場(神聖な地)であることに感動すると、天下太平のために理趣三昧(りしゅざんまい)(『理趣経(りしゅきょう)』を読誦する勤行)の法会を執り行いました。
すると山上に紫の雲が棚引きました。さらに祈りを捧げると、ちょうど満開のツツジで彩られていた山並が、紅緋(べにひ)からいっせいに紫色に変わったのです。それからというもの、阿闍羅山には紫ツツジが咲くようになりました。
(『新撰陸奥国誌』)
阿闍羅山は、山頂に不動明王(梵名「アジャラ」)が祀られているお山です。青森県のスキー発祥の地とも言われる山ですが、今でも紫色のツツジが咲き乱れているでしょうか。
『曽我物語』に「東は安久留(あくる)・津軽(つがる)・外(そと)の浜(はま)」として語られている日本の東の果て。とりわけ津軽の弘前は、寛永3年(1626)、弘前藩二代藩主であった津軽信枚(つがるのぶひら)(1586~1631)によって、最勝院(弘前市銅屋町(どうやまち))を筆頭寺院とする「津軽真言五山」(最勝院・百澤寺・国上寺・橋雲寺・久渡寺)が定められるなど、古くからお大師さまと関わりの深い地域です。明治元年(1869)の神仏分離令(廃仏毀釈)という宗教政策によって往時の面影を留めていない面があるのは心残りですが、お大師さまを慕う篤い信仰は息づいているでしょう。
金(こがね)の泥(でい)に朽(く)ちず
蓮(はちす)の水(みづ)に染(そ)まぬ
(無住『沙石集』)
(金は泥の中でも輝きを失わない。蓮は泥水の中でも濁りに染まらない)
阿闍羅山の紫ツツジとともに、今なお人々の心の奥底に「白蓮華(びゃくれんげ)」(心の蓮)の花が美しく咲き誇っているように感じます。
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最後までお読みくださりありがとうございました。