坊さんブログ、水茎の跡。

小さなお寺の住職です。お寺の日常や仏教エッセーを書いてます。

「不妄語」のお話①~虚言の世界から抜け出す~「法の水茎」49

人影のないお寺に、珍しい訪問客です。

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黒猫

何度か見かけたことのある黒猫。
こちらを気にしながら石段を登っていきました。

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お参り

お参りでしょうか。初夏の庭を散策しています。


今回の文章は、十善戒の「不妄語(ふもうご)」をテーマに、真実でないことや、嘘をつくことについて書いたものです。
 
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「法の水茎」49(2016年7月記)





  天の川 紅葉を橋に 渡せばや
   たなばたつめの 秋をしも待つ
         (『古今集』不知)
(天の川に降り敷いた紅葉を、懸橋のようにして渡したいと、七夕姫は恋人がやって来る秋を待っているよ)

 陰暦7月は「文月」とも呼ばれます。これは、7月7日の七夕に、文などを開く「文ひろげ月」を略したからとか(『奥義抄』)。本来、七夕は旧暦7月7日(今年は8月9日)に行われた、立秋を過ぎてからの秋の行事でした。

 冒頭の「天の川」の和歌でも、彦星が訪れてくる秋を心待ちにする織姫の心情が詠われています。初秋の紅葉は早い気もしますが、彦星を迎えるために錦の絨毯を敷き詰めたのでしょうか。あるいは織姫の熱い想いが、木々を色づかせてしまったのかもしれません。いずれにしても織姫の心の内には、季節を先取りした美しい光景が広がっていたのでしょう。現在の七夕は梅雨の最中ですが、雲間の遙か彼方に思いを馳せてみるのも趣がありそうです。

 七夕と同じように、陰暦7月はお盆(盂蘭盆(うらぼん))の月です。7月1日はご先祖様が家々に向かって出発する日とされ、また地獄の釜の蓋も開くことから、茄子畑や芋畑に行って大地に耳を近づけると、蓋の開く音や旅立つ声が聞こえてくるという言い伝えもあります。

 七夕の日は、お盆までの折り返し日として「七日盆」「盆初め」と呼ばれます。お墓掃除や井戸さらえをし、食器や家具などを洗い清めます。七夕は、ご先祖様を招く「魂祭り」の準備を始める日でもあるのです。この日は水に関わることから、少しでも雨が降ったほうが良いとも言われますが、七夕伝説を思えば「梅雨の宵晴れ」を願いたいものです。

 盆月の間は、ご先祖様をお迎えする意味からも、何時にも増して清らかな生活が求められます。それは「身体」や「心」はもちろん、言葉遣いにも言えることでしょう。例えば仏教では、真実でないことや、嘘をつくことを「妄語(もうご)」として戒めています。兼好法師(1283頃~1352以後)は『徒然草』の中で、世の中の話のほとんどは虚言(嘘偽り)であると語り(73段)、虚言に反応する人々の姿を描き出すなどしています(194段)。人間は、騙すつもりはなくても結果的に相手を振り回してしまったり、根も葉もない噂話を信じてしまったり……虚言の世界から抜け出すのは容易なことではありません。

 妄語に関わる古い話に、次のようなものがあります。

 昔、紀伊国に観規(かんき)という老僧がいました。ある時、十一面観音菩薩の木像を彫ろうと誓いを立てましたが、手助けしてくれる人もなく、次第に月日を重ねて力も弱くなり、ついに、願いを果たすことなく延喜元年(901)2月11日に80有余歳の生涯を閉じました。

 ところが、2日後のこと。観規は生き返り、弟子の明規(みょうき)を呼び寄せて「一言言い忘れたので帰ってきたのだ」と語ります。座敷を整え、食事の用意をさせると、そこに有力な信者を招き、観規は跪いて語り始めました。「私は命が尽き、仏像を彫り終えずに世を去りました。どうか、仏像を完成させるという私の願いを、代わりに叶えていただけますでしょうか」と。すると皆は嘆き悲しみ、涙を流しながら「必ず成し遂げます」と答えます。観規は立ち上がって礼拝し喜んだのでした。

 さて、さらに2日経った15日。弟子の明規を呼んで、「今日はお釈迦様がお亡くなりになった日だから、私も死のう」と言います。弟子は頷こうとしましたが、師匠の慈悲深いお姿を見ていると、愛に堪えられずに、偽って「今日は15日ではありません」と答えます。観規は「どうしてそのような虚言(そらごと)を言うのか」と話しかけると、身体を清浄にして跪いて合掌し、手には香炉を捧げ持って大往生を遂げたのでした。
             (『日本霊異記)』)

 この話の中で、弟子の明規は、師に嘘をつきました。師が現世から消え失せる辛さに、堪えかねたのでしょう。これは責められるべきことでしょうか。

 「心内にあれば色外にあらわる」(『大学』)という言葉もあるように、日頃から師を慕う気持ちが、自然と虚言となって表れてしまったのかもしれません。

 師との最後の会話では、つい虚言を言ってしまった明規でしたが、師の往生を見届けた後は、篤信の信者とともに十一面観音菩薩像を完成させました。師の遺言を守り、立派な開眼供養(かいげんくよう)(仏に魂を迎え入れる法要)を営むことによって、師への愛着の苦しみからも解き放たれたのではないでしょうか。

  人を謗(そし)りては、
  己が失(しつ)を思ひ、
  人を危(あや)ぶめては、
  己が落ちん事を思へ
         (無住『沙石集』)
(他人を悪く言うときは、自分の誤りを考え、他人を不安にさせるときには、自分が危険にさらされていることを思え)

 明規の師に対する離れがたい思いのように、お盆にお迎えしたご先祖様に対しても、帰るべき日を偽ってしまいそうになります。そんな時、ご先祖様はどのような真言(しんごん)(真実の言葉)で答えてくださるでしょうか。

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最後までお読みくださりありがとうございました。